「書き続けるしんどさ」との闘いからいかに抜け出すか(2)

前回の記事はこちら→『「書き続けるしんどさ」との闘いからいかに抜け出すか(1)

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自分自身が経営資源であるライターの多くは、自ら原稿作成マシーンと化して利益を稼ぎ出しています。

ではフリーライターが「書く」以外の収入源を確保しようとした場合、どのような手段があるでしょうか。

書籍の執筆に携わっている一人としては、印税を得るという夢があります。しかし目標ではなく夢と書いてしまったように、安定した収入源のひとつとして印税をあてにするのは残念ながら現実的ではありません。印税が得られる機会が一時的に巡ってきたとしても、安定にはつながらないからです。

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印税より具体性のありそうなものをざっと列記してみました。

① 文章の専門家として指導者・セミナー講師などになる道
② 編プロや出版社を立ち上げて事業化する道
③ 知識やノウハウを活かして専門分野のコンサルタントになる道
④ その道の専門家としてコメンテーターとなる道
⑤ noteなどを利用してコンテンツを販売する道
⑥ アフィリエイトブログを立ち上げて広告収入を得る道

いちばん現実味を帯びていそうなのは「①」でしょうか。プロのライターとして独り立ちをしている時点ですでに文章の専門家ですから、そのノウハウを「書く」以外のビジネスに応用する道はもっとも手堅い気がします。

編集者的なセンスやマネジメント能力のあるライターの場合、ステージアップの手段として「②」は考えられます。「書く」という職人作業から手離れし、ひとつ上のプロデューサーの立場で仕事や人材をマネジメントする。ベテランライターにとっての進路の王道という感じでしょうか。

「③」も①と②と同様、いち下請けライターの立場から上流に駆け上がる手段のひとつといえます。

その次の「④」を目指せるのは、実力とブランド力を兼ね備えたひと握りのライターに限られるはず。

「⑤」と「⑥」は書く作業が前提ですが、いま流行りのウェブライター、ブログライター的な発想でいちおう挙げておきます。

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ぼくはいま38歳(2016年2月現在)。40歳をキャリアのひとつの区切りとして考えています。

まず40歳までに自ら仕事を生み出すしくみをつくり、それから「書く」以外の第2の柱を築いていく計画です。

具体的には、「①」よりも「②」か「③」あたりの道を模索したいなとイメージを膨らませたりしています。同世代のライターさんはどうなんだろう……。

もっと具体的な話をこのブログに書けるよう、行動を伴ったイメージングによって望む現実をつくっていこう。

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「書き続けるしんどさ」との闘いからいかに抜け出すか(1)

信頼する税理士の先生から、「ビジネスモデルは貸借対照表には計上されない」という話を伺いました。

たとえば創業間もないベンチャー企業の場合、利益の源泉は経営者本人の頭の中にあるビジネスのアイデアであるケースが多いはずです。

しかし唯一最大の経営資源であるその無形の財産は、貸借対照表の資産の部には計上されないのです(取得原価主義のため)。これから利益を生み出すであろうビジネスモデルは会計上、「無い」のと同じだということです。

スタートアップ企業は利益を稼ぎ出す資産を持たないまま走り出し、お金を借りる手段も限られたなか、それでも走り続けて事業を軌道に乗せなければならない。

そう考えると、ベンチャー企業の立ち上げはほんと難しいんだなというのがわかります。だからこそ起業家の血をかき立てるのだと思いますが。

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利益を生み出すビジネスモデルは会計上、資産ではない――。

フリーライターの弱点もこれに近いように思います。ライターとしての力はあっても、その力は定量評価としては資産とみなされないということです。

フリーライターにとっての最大の経営資源は自分自身です。しかし自分という存在は、ビジネスモデルと同様に貸借対照表には計上されません。

結果、フリーライターはスタートアップ企業と同じように、利益を生み出す資産を持たないなかで、自転車操業的に事業を継続していかなければならないという悲哀があります。

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ライターの経営資源は自分自身――。

これが何を意味するかといえば、自分自身が原稿作成マシーンとして、利益を生み出す装置として、「書き続けなければならない」ということです。

文章を書くのがまったく苦にならないライターは、ずっと物書きとしてやっていけるのだと思います。

ですが、ぼくのように物書きとしての先天的な資質が備わっていない努力系ライターの場合、「書き続けるしんどさ」と格闘し続けなければならないという辛さがあります。

それに耐えられなくなったライターは、出版社や編プロに戻ったり、自ら編プロを興したり、他の職業に転身したりするのかもしれません。

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「書く」辛さは身に染みているけれど、それでもライター業を天職としてまっとうしたい――。

そう願った場合、そしてぼくはそう決意しているわけですが、生き残る手段としては「書く」以外の利益の柱を打ち立てることでしょう。

その第2の柱を築くのが、ぼく自身の今後の課題です。

次回の記事はこちら→『「書き続けるしんどさ」との闘いからいかに抜け出すか(2)

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【活動記⑤】そもそもなぜ将来は田舎に帰ろうと思ったのか?

前回の記事はこちら→『(活動記④)田舎暮らしはバイオリズムが整う?

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阪急電車で大阪の梅田駅まで15分。兵庫県尼崎市という、ライター活動を続けるうえではたいへん恵まれた場所に住んでいたのに、なぜ田舎の兵庫県加東市にUターンしたのか。

きっかけは高校時代にさかのぼります。

その日はたしか土曜日だったように思います。

土曜日の授業は午前中で終わり、午後は部活動(陸上部)の練習に明け暮れていました。

部活動は夕方に終了し、その後は自転車で15分ほどかけて自宅に帰ります。それから晩御飯までのあいだ、おやつを食べながらテレビをぼけーっと眺めるのが習慣になっていました。

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その土曜日の帰宅後も、部活動でカラダを酷使した心地よい疲労感に包まれながらテレビを見るともなく見ていました。

するとある光景が目に飛び込んできたんです。

当時、アメリカで流行していたワークスタイルを取り上げた番組で、あるアメリカ人一家の日常が紹介されていました。

緑あふれる郊外の自宅で仕事をする父親の姿。まるでディズニーの英語システム(わかる人にはわかるはず、笑)に登場するようなダンディーなパパが、おしゃれな部屋でカッコよく仕事をしています。

そのパパと同じ部屋では可愛らしい子どもがはしゃぎ回り、となりのキッチンでは美人のママが料理をつくっていました。

サラリーマン家庭に育ったぼくにとって、父親が自宅で働いている姿はじつに新鮮でした。同時にホワイトカラーの職業でありながら、職住一体の生活が当然のように成り立っている家族の在り方に憧れを抱いたのを覚えています。

そうしたワークスタイルは「SOHO(Small Office/Home Office)」と呼ばれ、当時のアメリカではすでに主流になっていると知りました。

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その番組を観終わったとき、

「おれも将来はこうやって働きたい」

とごく自然に思いました。

その思いは、アメリカ人家族の暮らしの映像とセットで脳裏に刻みこまれ、潜在意識にも強烈にインプットされました。その瞬間、人生とかかわる何らかの遺伝子のスイッチがパチンと音を立てて「オン」に切り替わったはずです。

以来、約20年間。

そのとき目にしたテレビの光景、「おれも将来はこうやって働きたい」という思いを心の片隅に抱きながら、キャリアを積み重ねてきました。

いくら遠くても的(まと)を定めると、矢はそこに向かって飛ぼうとするものです。

ぼくの人生も同じで、

将来は田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

そんなライフプランを実現する方向に矢が進んでいったのです。

次回の記事はこちら→『【活動記⑥】高校生時代に決めたビジョンが進路選択の決め手に

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フラクタル理論―人間は地球であり、地球は人間である?

フリーライターに転身して1、2年経ったころに担当した書籍の著者から、「フラクタル理論」を教わりました。

フラクタル理論を自分なりに噛み砕くと、「部分は全体であり、全体は部分である」ということ。

たとえば立ち木は軸となる太い幹から枝が広がり、その枝からさらに細い枝が分派し、先端に葉を茂らせています。

その立ち木から太い枝を一本伐りとっても、太い枝からさらに細い枝を一本伐りとっても、それらの枝のかたちは立ち木全体の姿と相似形を成しています。

一枚の葉っぱも同様です。樹枝状に張り巡らされている葉脈の構造を見ると、やはり立ち木全体の姿と相似形となっている。

このように、ある図形がどこまで分割されてもその小さな「部分」に「全体」と同様のかたちが現れる理論を「フラクタル(自己相似形)」と呼びます。

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「部分は全体であり、全体は部分である」――。

このフラクタル理論は「人間」と「地球」にもあてはまると独自解釈しています。

人間の体重に占める約7割は水分であり、地球の表面積に占める約7割は海。ともに「水」が7割というのは、重量と面積の違いはあるにしても、なにか意味があるように感じるのはぼくだけでしょうか。

これをフラクタル理論に強引にあてはめると、

「人間は地球であり、地球は人間である」

といえるんじゃないかと思うのです。

ゴミをポイ捨てすると地球が汚れますが、ぼくが拡大解釈しているフラクタル理論でいえば「地球の汚れは人間の汚れとイコール」。つまりポイ捨ては、まわりまわって自分のカラダを汚すことになるわけです。

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このフラクタル理論の考えを持てば、「人間と宇宙」、「自分と他人」、「有権者と政治家」、「労働者と雇用者」など、あらゆる場面で全体の視点を持てるようになります。

たとえば「自分は他人であり、他人は自分である」と思うことができれば、「自分さえよければいい」という利己的な考えを律することができそうです。同時に、自分を差し置いて他人のことばかり優先する生き方もちょっと違うなと思えたり。

あるいは「有権者は政治家であり、政治家は有権者である」と思うことができれば、一方的に政治家を責めたてるのではなく、その政治家を選んだ有権者も含めた全体の視点で政治を俯瞰できそうです。

「一事が万事」もまさにそうです。

「一事は万事であり、万事は一事である」

そう捉えればこそ、一事を大事に日々の生活を送れるような気がします。

関連記事はこちら→『小さなことで「あれ?」と思う人は、あらゆる局面で「あれ?」が積み重なっていく

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小さなことで「あれ?」と思う人は、あらゆる局面で「あれ?」が積み重なっていく

自ら仕事を生み出すしくみを持っていないフリーライターの場合、発注者から依頼された仕事を請け負って口を糊しています。

このフリーライターの立場を強引に流しそうめんに例えると、下流で割り箸を広げ、そうめんをいまかいまかと待ち構えている人という感じになるでしょうか。

例えの良し悪しはともかく。

仕事の流れという意味では、フリーライターは下流の立場で立ち回ることが少なくありません。だからでしょうか、上流の人たちのそうめんの流し方が気になるときがあります。

下流の立場の人間がそうめんをすくいやすくなるよう、気を遣ってもらっているのがわかる人がいれば、下流などお構いなしにそうめんをかき乱す人がいたり。

あるいは下流まで下りてきて一緒に食べてくれる人がいれば、上流からそうめんの本数を無理やり指定するようなタイプの人がいたり。

幸い、ぼくが仕事をご一緒しているクライアントの方々は、そうめんを一緒に食べてくれる人がほんと多い。建前で言っているのではなく事実です。

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ですが、そうめんの流し方が気になる人が過去にいたことはありました。

仕事のやりとりに置き換えると、たとえば電話やメールで「追って連絡します」と言ったものの、そのままなしのつぶてだったり。

些細なことかもしれません。相手の反応を待つのではなく、自分から連絡すれば済む話だったりします。

ですが、小さなことで「あれ?」と思う方は、そのほかのあらゆる局面でも「あれ?」が積み重なっていくように思います。

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どちらの足から靴を履くのか意識している人はおそらくいないように、習慣は一挙手一投足を支配しています。

習慣とは、自らの思考や行動を無意識の領域に一任するようなもので、自動車でいうと自動運転ととらえられるかもしれません。

たしかに効率的ですが、悪い習慣が身についてしまうと厄介なことになります。自動運転のプログラムが間違っていると大変なように。

仮に、小さな約束を守らないことが習慣になってしまうと、本人も意識しないうちに、相手に対して失礼な言説を繰り返してしまう可能性が高まるように思います。

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ぼくがクライアントさんの対応に気づくときがあるように、クライアントさんもぼくの一挙手一投足をつぶさにチェックされています。

自分自身も見られていることを忘れないように。

小事は大事、一事が万事を習慣化できるように。

自分自身の戒めのために意識していることです。

関連記事はこちら→『フラクタル理論―人間は地球であり、地球は人間である?

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フリーライターが選んだ仕事に便利な100均グッズ

 

ちょっとした小物を使うことで仕事の効率は意外と上がるもの。ここではフリーライターのぼくが実際に仕事で使っている100均の便利グッズを集めてみました。

① ダイソーのブックスタンド(本を開いたまま立てるスタンド)

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このダイソーのブックスタンドは100均グッズの中で最も重宝しています。

専門的な内容の文章を書く場合、参考書籍を見ながら執筆する機会も少なくありません。

これまでは本を手で押しつけて開きやすくしたり、重りを乗せたりして対処していました。でも分厚い本の場合は途中で閉じてしまい、イライラした経験は数知れず。

そんな面倒も100円で解決です。

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お金を出せばグッズの選択肢は広がりますが、これを使えば問題はほぼ解決です。

難点は、本を差し込む際に表紙がひっかかりやすいことかな。でも大きな問題ではありません。

※後日追記:アマゾンでこのダイソーと同じ商品(『折りたたみ式 ブックスタンド』)が580円で販売されているのを発見。みなさん、ダイソーだと100円ですよー。

 

② セリアのフィルム素材の5色の付箋

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まず素材がフィルムで透明性が高く、文字などが透けて見えるので便利です。

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さらにこの付箋のポイントは色展開です。

とくに書籍ライターにとって使いやすいはず。というのも書籍の章展開を5色に見立て、1章の参考箇所は青、2章の参考箇所はピンク、というように分類できるからです。

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書籍の原稿を書く際の付箋の使い方は自分なりのルールがあります。機会があれば紹介します。

この付箋の難点は、1枚ずつ取り出すのがちょっと面倒な点。ポストイットの「しるす」ジョーブシリーズはポップアップ式で便利です。

 

③ ダイソーの両面テープ付き面ファスナー(中)

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コンセント類の収納に必須のアイテム。

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写真のようにデスクの裏側にOAタップをこの面ファスナーで張りつけてコンセント類を目立たなくしています。

※後日追記:時間が経つとはがれてくることが判明。もう少し軽いものをつける場合はだいじょうぶかも?

※後日再追記:結局、ダイソーのこの面ファスナーではOAタップの荷重に耐えきれないことが判明。一見、強力そうなんだけど、時間が経つとはがれてしまう。そこで購入したのが、セリアで見つけた「ボンドの両面テープ」。

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これはかなり強力っぽい。ちょっと様子を見てみることにします。

後日追記:このボンドの両面テープはおそろしいほど強力で、OAタップをがっちり固定してびくともしません。というか、もう、はがせないかもしれない。。

後日再追記:ある日、仕事をしていたら、足元から猫が鳴いたような奇妙な音がしたので驚いて覗き込んでみると、なんとOAタップがだらりと垂れさがっていました。ボンドの両面テープでもけっきょくはがれました。。そもそもOAタップが重すぎるのか。横向きにつけているけど、縦向きならはがれにくいかも。もっと強力なテープを求めた旅は続きます(笑)

 

④ セリアのミニブックスタンド

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これが意外と便利。

引き出しの収納の区切りに使ったりしています(見にくいですが)。

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⑤ ダイソーのゲルインクボールペン

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これは改善を希望するアイテムでもあります。

このダイソーのゲルインクボールペンのリフィルは、パーカーやペリカンなどのボールペンと互換性があります。海外ブランドの純正リフィルは800円ほどしますが、これは100円でリフィルが2本。経済性は抜群です。

書き心地はギリギリ及第点ですが、問題が2つ。

1つはインクの渇きが悪い点。もう1つはインク(主に赤)の途中に空気の隙間があり、途中で書けなくなるという致命的な欠点。

この2点が改善されると使用に耐えるグッズになるかなと思います。

※2016年3月追記:最近ダイソーでこの商品を確認したところ、インクの空気溜まりは(購入して使用はしていませんが)解消されていた模様。

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「凡事徹底」を目につく場所に

イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏の著書で『凡事徹底 (活学叢書)』(英知出版社)という本があります。

凡事――つまり当たり前のこと、単純なことを極めていくことが絶対差を生む道と説かれています。

鍵山氏は、半世紀にわたり毎日掃除をやり続けるという凡事の積み重ねがイエローハットをつくった、とおっしゃっています。

ぼくはこの本を本棚に入れて、「凡事徹底」というタイトルが常に目に入るようにしています。

凡事徹底。

この四字熟語を目にすると、曲がっていた背骨がすーっと伸びる気がします(笑)。ずぼらな人間は、そうやって気づきのきっかけを四方八方に張り巡らせておかないとダラけてしまうのです。

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では凡事とは具体的に何か。

書籍『凡事徹底』では、福沢諭吉が大切にしていたとされる「鄙事多能(ひじたのう)」という言葉を例にあげ、

先生(福沢諭吉)は鄙事、つまり普通の人たちが雑事と片づける細々としたこと、例えば、朝起きたら布団をたたむとか雨戸を開けるとか、ちょっと家の前を掃くとか、そういった身辺の雑事に対していつも多能で、器用でなければならないと教えております。

としています。

*鄙事とは、簡単で誰にでも出来る些細な事。多能とは、器用にこなす能力。孔子の言葉とされる。

ようするに凡事とは日々の生活の雑事のことで、若干の飛躍をゆるしてもらえるのなら「ルーティン」と言い換えることもできるかもしれません。

雑事、ルーティンを当たり前のように継続できる人は、日々の生活だけでなく、仕事も充実させられる、というふうに理解しています。

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凡事徹底の境地からは程遠い自分がふだん、かろうじて心がけていることが2つあります。

1つは、カラダの補強。

腕立て伏せとか腹筋とかスクワットとか、そういうやつです。

フリーになった30歳から現在(2016年2月現在で38歳)まで8年間、風呂に入る前に数種類の補強を続けてきました。とはいえ毎日ではなく、週3~4回ほど。

それでも「継続は力なり」で、この8年間で体型はほとんど変わりません。

もう1つはご先祖様への挨拶。

朝は仕事部屋で、夜は布団の上で手を合わせ、いつも決まった言葉を心の中でつぶやいています。

だから何だと言われても、その先は何もないのですが(笑)。

取り組む内容そのものよりも、ちょっとしたことをいかに継続するか、その心がけが思考を変え、行動を変え、結果を変えていくのかなと思っています。

関連記事はこちら
「流しそうめん」と「一事が万事」
「フラクタル理論」と「一事が万事」

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ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(3)

③ 自分の失態で誰かの信用に傷をつけるリスクを知った

フリーライターになってからの8年間で2回の遅刻。1つは、「ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(2)」で取り上げました。

もう1つは完全に自分のミス。ぼくが時間にこだわる原体験の2つ目でもあります。この話にふれるのは勇気がいりますが、自戒を込めて書き残しておきます。

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その恐怖の電話は突然、やってきました。

「高橋さん、いまどこですか?」

ぼくは自宅のデスクで原稿に追われていた最中で、

「家で原稿を書いていますよ」

と答えました。

「えっ」

と電話先の相手の方。

「取材、今日ですよ……〇〇で待っています」

あまりにもの衝撃で、さまざまな思いが脳裏を駆け巡りました。

しかし力づくで我を取り戻し、すぐ取材の依頼メールと自分の手帳を見比べて、

「終わった」

と首を垂れました。

間違えていたのはもちろん自分で、待ち合わせの時間だったまさにそのとき、自宅のデスクにいたのです。

***

次の瞬間、ある方の顔が思い浮かびました。

ぼくとクライアントをつないでいただいている方です。ぼくが遅れた場合、その方に迷惑がかかるのは明白でした。

自分が全責任を被るのならまだしも、自らの失態でほかの誰かの信用に傷をつけることになる。

これほど辛いことはありません。

倒れそうになるのを踏ん張りながら、即座に取材の準備をして家を飛び出し、現地に直行。関係者の方々のあたたかいご協力のもと、何とか乗り切りました。

仕事を失う覚悟をしていましたが、その後も継続して発注いただいています。このご恩は一生をかけて返していこう、そう心に留め置いています。

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何のとりえもないライターですが、唯一、自信を持っていたのは「時間を守る」ことでした。

ぼくの父方の祖父は「時計のように正確な人」と近所の人たちの評判だったそうです。毎朝、決まった時間に家を出て、同じ道を歩いて仕事に通っていたからです。

その祖父の血を受け継いだ父も同じような性格の人で、その祖父と父の血を受け継いだ自分も時間を大切にしていました。

ところが、自分の背筋を伸ばしていたその自信が、失態によって完全に折れてしまったのです。

もう二度と同じ失敗は繰り返さない。その宣言のために、あえてこの話を書きました。

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なぜ取材の日にちを間違えたのか。自分なりに頭を整理して原因をまとめました。それをもとに自分なりの再発防止策を立てて実行しています。

もう一度、自信を育てられるように。

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ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(2)

② 時間の管理を他人に委ねる甘さを痛感

ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(1)」で取り上げた失敗談では、遅れて迷惑をかけた相手はコピーライターの上司だけではもちろんありません。

クライアントの方々や監査を担当する人、その日の打ち合わせ先であるクライアントの事務所の担当者の方々も同様です。

さらにいえば、当時、ぼくが勤めていた広告制作プロダクションの信用にも傷がつくし、会社の最終責任者=社長という意味で考えると、プロダクションの社長にも迷惑をかけたことになる。

駆け出しのコピーライターの不注意で招いた遅刻が、多方面で信用を落とす結果につながってしまうわけです。

「そこまで考えるのは大げさでは?」

そう捉える人もいるかもしれませんが、そこまで考えていなければ後ろ盾がないフリーランスとして生きていくのは難しいと考えています。

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2016年2月現在、フリーライターになって8年目です。この8年間で待ち合わせに遅れた経験は、恥ずかしながら2回あります。

1回目は、フリーに転身した年。

当時、ぼくは腕時計を使っておらず、携帯電話で時間を確認していました。

その日、午後からの取材のため、デザイナーさんと喫茶店で昼食をとっていました。ぼくは携帯をかばんに入れていましたが、デザイナーさんが時間を確認していたので、

(店を出る時間もデザイナーさんに任せよう)

とごく自然に思いました。

食後のコーヒーを飲み終えたころ、

「高橋君、そろそろ行こか」

ということで現地に向かいました。

結果――。

待ち合わせ時間に10分ほど遅刻してしまったのです。

デザイナーさんはとくに悪びれる様子もなく、「すいませんねー」という感じ。

ぼくは待たせた方に対して心底申し訳なく思ったし、時間の管理を他人に委ねた自分の判断の甘さに気づいて反省しました。

後日、腕時計を購入したのは言うまでもありません。

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そのデザイナーさんの姿を見て、自身の行いを見つめ直しました。

遅れてしまったのは致し方ないにしても、相手に対する誠意に欠けていたからです。

(この人は相手の時間を奪う意味を理解していないのだな)と。

そのデザイナーさんは人生の大先輩のような年齢の方です。

その後もお付き合いをさせていただいているなか、時間に限らずルーズな面が散見されました。

どういう人が信用を得て、どういう人が失うのか。

考えるきっかけを与えてもらったように思います。

次回の記事はこちら→『ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(3)

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ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(1)

① 遅れることで迷惑をかける人を理解できていなかった

社会人としていちばん大事にしている心構えは何ですか?

そう聞かれると、

「時間に遅れないこと」

と迷いなく答えます。

待ち合わせの時間に遅れないのはもちろん、できる限り、自分が先に現地に着くよう心がけています。

具体的には、15分前には待ち合わせ場所に居るようにしています。(さらに現地には1時間ほど早くつき、近くのカフェなどで資料を読み込むなどしています)

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これまで時間にルーズな人を何人も見てきました。

そうした人に共通するのは、時間に限らず、あらゆる面でルーズだということ。

一事が万事。

時間に対する姿勢が、すべての局面に表れる、そんな気がしてなりません。

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時間にこだわるようになった原体験が2つあります。いずれも強烈な失敗談です。

1つ目は、10年以上も前の話。

広告制作プロダクションに入社し、コピーライターになって2年目のころ。

案件の打ち合わせのため、コピーライターの上司と大阪のJR環状線「西九条駅」で待ち合わせをしていました。

十分に間に合うよう家を出ましたが、何を思ったのか環状線を反対方向に乗ってしまい、待ち合わせ時間に5分ほど遅刻してしまったのです。

じつはこの日、クライアントの方々、その案件を監査する立場の方も一緒に待ち合わせをしていました。

・クライアントの方々
・監査をする人
・コピーライターの上司
・駆け出しコピーライターの高橋

この4つの立場の人が駅で落ち合い、クライアントの事業所に向かう予定だったのです。

遅れて到着したぼくは、上司の姿を見た瞬間に状況を理解しました。後輩が遅刻しているという局面のなか、上司はクライアントとの間を必死に持たせてくれていたのです。

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自分が遅れることで最も迷惑をかけるのは誰なのか。

ぼくは正しく理解できていませんでした。

上司はクライアントを前にして、どれほど辛い思いをされたことか。

そう思うと、時間に対して甘い認識を持っていた自身を痛罵しました。

同時に、異なる立場の人が集まる待ち合わせでは、自分が遅れると誰に迷惑を与えるのか、常に考えるようになりました。

以降、待ち合わせにはギリギリ間に合う時間ではなく、最低でも15分前、しかも理想は自分がいちばん早く現地に着くこと、このように自身に課すことに決めたのです。

いまでも西九条駅に降り立つと、当時の苦い経験が頭をよぎります。

次回の記事はこちら→『ライターのぼくが時間を大切にするようになった失敗談(2)

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