リアルよりウェブのほうが人見知りする?

このブログは2016年2月1日にオープンしたので、今日時点で1ヶ月と少し経ちました。

なんというか、思いのほか苦戦しています。苦戦というのはアクセス数がどうのこうのという外部の反応ではなく、手ごたえがいまいちつかめないという内面的な問題。

とにかく文章が硬くなる。かしこまった感じになる。就職活動に励む学生がスーツを着こなせていないのと同じように、ブログの文章にこなれ感がないというか。ライターなので文章を書くのはプロなわけですが、自分のことになると、とたんにペンが無口になってしまう。

こういう状態は、ブログ立ち上げ直後に多くの人が陥るみたいです。なにかいいこと言わないといけない、ちょっとしたものの見方や独自の切り口を披露したい。そうやって背伸びした結果、ふくらはぎがつって立っていられなくなる。

ここからが勝負かもしれません。ふくらはぎがパンパンにはってきて、賢そうな記事を書こうとしてもいよいよネタが尽きてきて。開き直ってからがほんとうのブログのスタートなのかもしれません。

***

ウェブでの情報発信という意味では、2000年にHTML手打ちで独自サイトを開設、2005年頃にはアジア旅行記のサイトを立ち上げ人気サイトに育ちました。フリーランスになった2008年には陸上のトレーニングブログをつくり、マニアックな情報発信を続けてきました。ウェブ遍歴はわりと長いのに、そしてこれらのサイトやブログでは自分らしさをおそらく出せていたのに、このブログはいまいちつかめない。

なんでかと考えると……

・書いている本人が楽しんでいるか
・だれに向けた記事なのか、ディスプレイの向こう側の人が見えているか
・だれの役に立つ記事なのか
・自分をさらけ出す覚悟があるか

このあたりが漠然としている点に問題があるかなと思えたり。

ところがいざディスプレイの向こう側の「あなた」に向けて何かを伝えようと思うと、なぜか恥ずかしい(笑)。

これまで運営してきたサイトやブログはプライベートなものでしたが、このブログは仕事の肩書き(走る編集ライター)の受け皿的意味合いを持たせている点ももやもやと関係しているかもしれません。

いずれにせよ、リアルの対面だとお互いを見せ合うわけだけど、ウェブの場合、ディスプレイの向こう側の「あなた」はぼくにはわかりませんから。

もしかすると、ウェブのほうが、(空想の)人見知りをしやすいのかもしれない。

ということがわかったこの1ヶ月でした。

Continue Reading

【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

前回の記事はこちら→『【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

***

大学卒業後に入った印刷会社を退職後、ぼくはどうしたか。中島らも師匠の経歴を思い出し、コピーライターの学校に通うことになります。師匠は印刷会社で働きながら宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていたというのを知り、ならばということで自分も同じ門をたたいたのです。

こう書くとまったく主体性のかけらもありませんが、実際に当時のぼくには主体性のかけらもありませんでした。それでもライターになるという目標だけは見失わずに過ごせたのは、将来ビジョンだけはしっかり描いていたから、かもしれません。

退職後と書きましたが、実際には印刷会社を辞める前からコピーライター養成講座に通わせてもらいました。講座の場所は、大阪本町の靭公園の横のビル。少し早めについた日は靭公園で時間を潰して……このころがいちばん辛かったですね。

陸上を辞めて社会に出たものの、仕事はうまくいかないし、ライターになれるかどうかもわからない。陸上競技は目標を持ち、その目標に向けて努力することができた。でもライターという目標の場合、努力のしかたがわからなかった。あるいは努力をしたつもりでも、まったく方向違いかもしれない。それがわからない……。

***

つかみどころのない毎日に漠然とした不安を覚え、それでもなんとか講座は修了。印刷会社は受講中に退職し、パチンコ屋で派遣で働きながら口を糊する日々。

その後は東南アジアを放浪したりもしながら(笑)、ようやく『「どうやってライターになったんですか?」』で書いたように大阪の広告制作プロダクションに拾ってもらいライター生活がスタートすることになります。

広告制作プロダクションでは4年弱働き、コピーの基本を厳しく叩き込まれました。これは自信を持って言えることですが、仮にコピーライターが1000人いたとすると、999人目にコピーが下手くそといえるほどコピーが書けませんでした。指導してくださった先輩や社長は苦労されたはずです。それでもさじを投げることなく、ねばり強く指導していただいたからこそ、いまの自分があります。大変感謝しています。

***

広告制作プロダクションを退職後、出版社を傘下に持つ神戸の会社に就職。主に書籍の編集やライターの仕事をするようになりました。将来的に地元にUターンすることを見越して兵庫の会社を探していたこと、また面接時に社長さんがぼくの将来ビジョンを認めてくださったことが入社の決め手となりました。

次の記事はこちら→『【活動記⑩】「君は何で田舎にこだわるんや?」

Continue Reading

【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

前回の記事はこちら→『【活動記⑦】中島らも師匠に影響を受けてライターを志す

***

「どうやってライターになったらいいんやろか?」

大学時代に就活をした際、ライターのなり方がわからずに広告代理店の面接を受けようとしたものの、すでに代理店の採用活動は終了済み。

次にぼくが目をつけたのは印刷会社でした。

当時、心酔していた中島らも師匠が印刷会社から社会人人生をスタートされていたからです。

「なんで印刷会社なんやろ?」

そう思いながらも資料を調べていると、クリエイティブ部門を持つ印刷会社が多いことに気づきます。そこで数社の会社説明会に参加、京都の印刷会社から内定をいただきました。

***

その印刷会社は社員数がたしか700名(当時)ほどで、業界では中堅に位置する会社でした。わりと大きなクリエイティブ部門を持ち、デザイナーやコピーライターも在籍していたのです。

ですが新卒で入ったぼくの所属はクリエイティブ部門ではなく、本社の営業部隊。クリエイティブ関係の採用は中途が多かったんじゃないでしょうか。とにかく師匠と同じ経歴の第一歩を踏み出せたことに胸をなでおろし、社会人としての歩みを始めることになります。

ところが、経緯は省きますが新卒で入ったその印刷会社を2年弱で退職することになりました。理由は、社会と組織に適合できなかった、陸上以外は何をやってもダメだった、ということに尽きます。

当時のぼくは社会人として生きていくにはあまりにも未熟で、自分を保つことができなかった。入社3年以内に辞める新卒が社会問題になって久しいですが、ぼくはその走りといってもいいかもしれません。

***

会社に伝えた退職理由は「ライターの道をめざしたい」ということでした。この点において自分の信念はブレていないわけですが、投資をして新卒人材を採用した会社側に立ってみれば「なにあほなこと言うとんねん」ということになります。

にもかかわらず。

にもかかわらずですよ、上司は「高橋君、ライターになりたいんやったら、うちの会社のクリエイティブ部門に異動してコピーライターになったらどうだろう。話をつけてあげるよ」とまで言ってくださった。

にもかかわらず。

にもかかわらずですよ、ぼくは一度辞めると伝えてしまった手前、そのあたたかい上司の配慮もお断りして退職したのです。しかも送別会まで開いてもらって……。ほんとうに恥ずかしい限りです。

こうして振り出しに戻ってしまったぼくは次、どうしたか。

またまた、中島らも師匠と同じ経歴を辿ることになります。

次の記事はこちら→『【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

Continue Reading

【活動記⑦】中島らも師匠に影響を受けてライターを志す

前回の記事はこちら→『【活動記⑥】高校生時代に決めたビジョンが進路選択の決め手に

***

高校時代に決めたビジョンに向けて選んだ道。それは「ライターを目指す」ということでした。

田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らすといっても、果たして田舎に自分が打ち込める仕事なんてあるんだろうか。

そう考えたとき、別に企業に勤めるわけではないんだから、「自分が興味のあることを仕事にしたらいいやん」とごく自然に思ったんです。

じゃあ興味のあることは何かと思いめぐらせたとき、ふと浮かんだのが「ライター」という職業だったのでした。

なぜライターだったのかというと理由は単純で、当時、中島らも師匠に心酔していたから(笑)

師匠の小説は叙情的でときに苛烈で、切なくて、美しくて、いい意味で衒学的で破滅的で……ほんと好きやったな~(『今夜、すベてのバーで (講談社文庫)』とかね)。その師匠は小説家になる前に広告のコピーライターをしていたのを知っていたので、「よしおれもコピーライターや!」と大学生なりに「なりたい自分」を決めたわけです。

***

ライターを選んだ現実的な理由もあります。

就活をした1999年はウィンドウズが登場してインターネットが普及し始めていた時代でした。就職活動中はパソコンは持っていませんでしたが、「ライターになれば仕事道具はパソコンになる。パソコンがあれば田舎でも仕事ができるじゃないか」という、単純すぎる思考回路でライターという職業と将来ビジョンを結びつけたのでした。

ところが、ここでハタと立ち止まります。

「どうやってライターになったらいいんやろか?」

これが意外にわからないんです。

インターネットはまだまだ黎明期でネットで調べ物をするという手段は一般化していません。当時はハガキを使って企業の資料請求をしていた時代ですから。

そこで大学の入試課に行って就活本で調べたところ、どうやらコピーライターは広告代理店にいるらしいということがわかった。

「よし広告代理店だ!」

ということで資料請求をしようとしたものの、主だった代理店の企業説明会や採用面接はすでに終了しているという悲しい現実が……。

出鼻をくじかれ、自分のキャリアプランは早くもとん挫したかに思ったけれど、そこでまた中島らも師匠が頭に浮かんできました。

「たしか師匠は社会人一発目、印刷会社に勤めていたな」と――。

次回の記事はこちら→『【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

Continue Reading

書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(3)

書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(2)』では、書籍ライターと著者との関係づくりについて考えました。

次に編集者との関係づくりです。

編集者は社内外の多くの関係者と関わりながら一冊の本をつくりあげていきます。5冊や10冊(あるいはそれ以上)は同時進行し、企画を考えたり、取材に同行したり、著者やライターから上がってくる原稿を整理したり……それはものすごく忙しく立ち回っています。

そうやってたくさんの人と関わるので、編集者はバランス感覚に優れた方が多いです。

そうした人からみると、おそらくぼくも含めたライターはどこか社会性に欠けた独特の生き物として捉えられているような気がします。ひと言でいえば、「このライターはちゃんとしている人だろうか」と。

だから編集者との関係づくりで書籍ライターがまず気をつけるべきは、ちゃんとすること。笑ってしまいそうなことですが、基本があるから応用があります。

ぼくは幸い、編集者という立場でライターと仕事をする機会がごく稀にあるので、いちライターとして活動する際は自分の言説を編集者の目線で注意深く律している(つもり)です。

たとえばメールや電話のやりとりもそうで。忙しい編集者に要点や要件が端的に伝わるメールの文面にまとめるのはもちろん、電話をするタイミング、さらにはそもそも電話をすべきかといった連絡の取り方にも気を遣います。

極力電話でやり取りしたい人なのか、基本はメールで済ませたい人なのか、SNSツールを柔軟に使う人なのか、編集者の仕事のやり方に応じてこちらの対応を合わせます。

***

書籍ライターにとっての編集者との関係づくり、けっきょくは「慮る」ことに集約される気がします。編集者が置かれている状況に思いをめぐらせ、自分がいかに動くのかを考える。

さらに核心を突けば、書籍ライターが編集者を慮る最大のポイントは、自戒を込めて「納期を守る」ことと断言します。一事が万事で、納期を守れない時点ですべてが台無しになってしまいます。

じゃあぼく自身はどうなのかと聞かれると、納期を外した経験は一度もないと胸を張って言えるわけではありません。

編集者さんとの関係の中で双方のスケジュールを調整し合い、協力し合って進めてきました。でもこれは信頼関係ができていないと難しい調整で、ご迷惑をおかけした経験が一度だけあります。それは別の機会でまとめたいと思います。

Continue Reading

書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(2)

書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(1)』で書籍ライターに必要なのは、広義の「コミュニケーション力」だとお伝えしました。

そもそもコミュニケーション力ってなんでしょう。

他者と上手に意思疎通できる力、集団の中で協調できる力……など、調べるといろいろ解釈が出てきます。

そうした能力ももちろん必要ですが、「広義の」と書いているように、書籍ライターに求められるコミュニケーション力は「信頼関係づくり」と密接につながっていると解釈しています。

なぜかといえば、「書籍づくりには正解がない」からです。

答えがないなか、著者、編集者、ライターはああでもないこうでもないと試行錯誤しつつ、トンネルの出口を探し求めます。そして「たぶんこれだろう」と三者が納得したものが、結果としての「正解」になります。

そうやって意思疎通を図り、意見統一にまで至るためには、お互い信頼し合い、尊重し合っていなければ難しいと思うんです。

***

では信頼関係の醸成を前提としたコミュニケーション力ってなんでしょう。

……と理詰めで考えていくと、すごく難しい問題ですね。これこそ正解のない問いだったりする。

ぼく自身も著者や編集者の方々と少しでも良い関係を築けるよう、いまも模索の最中にあるという前提で、意識していることをまとめてみます。

まず著者との関係づくり。

服装や挨拶、話し方といった社会人としてのマナーをきちんとするのはまず絶対条件。この基本がなければ信頼関係なんて築けません。

そのうえで、「著者の思いをくみ取る力」がライターには必要かなと思います。

ライターは、その道のプロフェッショナルである著者と対峙して取材を行います。著者は「このライターは自分の考えやノウハウ、思いをちゃんと理解し、質の高い原稿にまとめてくれるだろうか」と不安に思っています。

その著者の不安を安心に変え、信頼にまで高めるためには、「あ、このライターはわかっている」「この人に任せても大丈夫」という腹落ちが重要だと思うのです。

この腹落ちを積み上げていくことがライターにとっての意思疎通能力であり、信頼を醸成するためのポイントなのではと考えています。

なかなか難しいですが……どのような著者に対してもそうした高度なコミュニケーションができるライターでありたいと努力しています。

次回(『書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(3)』)は、編集者との関係づくりに焦点をあてたいと思います。

Continue Reading

書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(1)

書籍ライターに求められる能力は文章力ではない?』で書籍ライターは文章力が備わっているのが前提という話をしました。ライターは文章を書く専門家なので、必要な能力として文章力を挙げること自体、そもそもおかしいのではと個人的に思います。

ですが、文章力があればそれだけで書籍ライターとして長くやっていけるのかといえば、必ずしもそうではないと思っています。

では書籍ライターに何が必要かといえば、広義の「コミュニケーション力」です。

矛盾するようではありますが、仮に文章を書く力は発展途上にあったとしても、編集者や著者といったクライアントと気持ちよくコミュニケーションがとれるライターは重宝される可能性が高いです。

その上で書く力を磨く努力を続けていれば、「このライターを育てよう」と編集者に思ってもらえるのではと考えます。

***

書籍づくりをとどこおりなく進めるためには、著者、編集者、ライターが心を合わせ、ビジョンを共有しなければなりません。そのためには三者がそれぞれ信頼し合い、お互い尊重し合いながら制作を進めていく必要があります。

「読者に感動を与える本をつくろう!」

そうやって三者が強い思いを共有してつくり上げた本にはエネルギーが宿り、その熱は読者に伝わるものだと信じています。

反対に、三者の信頼関係が崩れると、何らかのトラブルに発展する可能性が高くなります。書籍の方向性で意見が食い違ったり、文章の内容やテイストに著者が強く難色を示したり、最悪のケースでは出版を取りやめる騒動に発展するリスクもゼロではありません。

だから編集者は著者との関係づくりに心を砕きますし、ライターにも同じような心構えで臨んでほしいと期待しています。

***

編集者とライターの関係も同様です。

編集者とライターの相性で書籍の質は左右されます。編集者は飴とムチを使いわけながら(笑)、執筆に懊悩呻吟するライターを叱咤激励し、ライターはその編集者の言葉に支えられながら10万字という長い道のりを走り切ろうと歯を食いしばります。

編集者とライターが良い関係を築いていなければ、そうした二人三脚のやりとりは難しくなります。

つまり編集者は「著者との関係づくり」「自分との関係づくり」という2つの側面で、ライターに広い意味でのコミュニケーション力を求めているのです。

次回(『書籍ライターで生きていくには「コミュニケーション力」が絶対必要(2)』)は、コミュニケーション力の具体的な中身について考えてみます。

Continue Reading

【活動記⑥】高校生時代に決めたビジョンが進路選択の決め手に

前回の記事はこちら→『【活動記⑤】そもそもなぜ将来は田舎に帰ろうと思ったのか?

***

将来は田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

高校生のときに偶然見たテレビ番組をきっかけにこう思ったぼくは、大学以降、このビジョンに向かって人生を歩んでいくことになります。

ひとつ目の岐路は大学時代。卒業後の進路を考えたときでした。

中高大と陸上競技に打ち込んできたぼくは、高校では三段跳びという種目でインターハイで決勝進出、大学も同様に三段跳びでインカレや日本選手権、国体に出場するなど、それなりに成績を出していました。

さらにいろいろな経緯は省きますが、「三段跳びをもう少し本格的に練習すれば日本のトップ選手あたりまで行けるのではないか」という自信をひそかに抱いていました。三段跳び選手として本格的に練習をしたのは大学3回生からの1年間だけだったからです。

だから大学4回生の時点では、卒業後も社会人選手として陸上を続ける道を探ろうと思った時期もありました。

しかし最終的にその選択はせず、企業に就職する道を選びました。

なぜか。

将来は田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

というビジョンがあったからです。

***

大学卒業後も陸上を続ける道を進んだ場合、現役選手として活躍できるあいだはいいかもしれません。ですが陸上選手としてのピークは20代で、30代になると引退を迎えることになる。

仮に35歳で現役を引退した場合、そこから第2のキャリアをスタートさせなければなりません。あるいは社会人チームを持つ会社に勤めた場合、引退後はその会社の社員として働くことになります。

いずれのパターンも好きな仕事を始めるのは難しくなります。

社会人チームを持つ会社に入る場合は陸上を続けるのが目的なので、その会社の仕事に魅力を感じたわけではないはずです。引退後は一般の社員として好きでもない仕事を続けるなんて面白くないと思ったし、そもそも将来は田舎の自宅で……というビジョンとはかけ離れた人生を送ることになってしまう。

大学時代にそうやって考えた結果、陸上競技は大学で引退し、卒業後は就職して自分の興味のある仕事をしようと決意したのです。

そしてその決意のベースとなったのが、

将来は田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

という高校生のときに決めたビジョンだったのでした。

次回の記事はこちら→『【活動記⑦】中島らも師匠に影響を受けてライターを志す

Continue Reading

なぜ電子書籍は思ったほど普及しないのか?

「もの」の価値、「本」の価値』で、本の本質的な価値は「もの」ではなく情報だと書きました。コンテンツそれ自体が価値なので、いくら複製(増刷)しても書籍の持つ情報の質は変わらないということです。

その意味では、情報の「入れ物」は何でもいいということになります。紙の本でも、電子書籍でも、cakesのようなコンテンツを切り売りするようなウェブサイトでも、情報の価値は同じ。まさしくそのとおりでしょう。

それは音楽メディアもそうで。

音楽メディアの場合、楽曲というコンテンツが商品なので、入れ物の種類は問われないことになります。

レコード、カセットテープ、CD、MD、データダウンロード……。

音楽メディアのコンテンツの入れ物は、時代とともに変遷を重ねてきました。若い人はCDすら持っていないという人もいるかもしれません(1977年生まれのぼくはCD世代)。いまや音楽メディアは、入れ物としてのハードはスマホになり、ソフトコンテンツそのものが裸でやりとりされる時代です。

***

これと同じレベルで書籍を考えたら、コンテンツの身ぐるみがはがされて、情報そのものがむき出しになってやりとりされる時代がきそうです。

というかもうとっくにきているはずなんですが、実際には紙の本と比べて電子書籍が相対的にシェアを大きく伸ばしているのかといえばそうなっていません。数年前は「紙の本は死んだ」みたいに言われていましたが……。

アメリカン大学の教授がアメリカ、日本、ドイツ、スロバキアの大学生を対象に読書に関する調査をしたところ、9割以上の学生が「しっかりとした読書をする場合には紙の書籍がいい」と回答したとのこと。ニューヨークタイムズ紙も「電子書籍の売上が2015年に入ってから最初の5ヶ月間でおよそ10%減少傾向」と報告しています。

音楽メディアはデータの移行が進んだのに、なぜ書籍コンテンツはそうならないのか。

やっぱり「紙の本が持つ価値」がしっかりと根づいているからだと思います。書籍には、本質的な価値以外に、「紙の入れ物」という物理的な価値も内包されているということです。

なんか複雑ですが、だからこそ書籍の電子化は簡単には語れないんでしょう。

では紙の本が持つ価値がどうして薄れないのか。

それは物理的な機能、所有欲を満たしてくれる感性的なメリットに加えて、「文化」が影響しているのではと想像します。次回、そのへんについて考えてみたいと思います。

Continue Reading

「集中」とは、「力を抜くこと」である

自己防衛の手段として「左手」を犠牲にしてきた』で左手を握りしめる癖があるとお伝えしました。じつはそれだけでなく、口も無意識に噛みしめていることが多いです。

原稿を書いているとき、車を運転しているとき、テレビを見ているとき、風呂に入っているとき……集中したりぼーっとしたりしているあらゆる時間、ふと気づくと食いしばるように強く噛みしめているんです。

***

口の食いしばりはちょっと心配な面があります。

以前、頭痛がひどい時期がありました。体調を崩したわけでもないのに、突然、頭が割れるように痛くなる。そうなると仕事なんてできないから、頭痛薬をのんで布団にもぐりこむことになります。薬が効いてひと眠りしたら、だいぶ楽になります。

あるときから、食いしばりが頭痛の原因になっているんじゃないかと思うようになりました。

きっかけは、自分のくちびるをめくった際に見てしまった……歯茎の衝撃の姿です。まるでこぶができたように、歯茎の骨が異様に飛び出していたのです。

これは歯茎の「骨隆起」と呼ぶらしく、食いしばりが強い人に多く見られるとのこと。ぼくは起きている時間帯の噛みしめに加え、寝ている間の食いしばりもかなりひどい。

目覚めた時点でカラダがすでにだるく、頭がどんよりと重たい日は、いつも以上に強く食いしばっていたのではないかと思っています。

***

この悪い癖を防ぐ手立てのひとつは、ふだん、目につく場所に「食いしばるな」といった目印を張り、常に意識することだそうです。でも睡眠時は意識できないので、ひどいケースではマウスピースが必要になるのだとか。

ぼくの場合、起きている時間帯に口の閉じ方を意識し始めてから、悩まされていた頭痛がだいぶ楽になりました(歯と歯を触れさせず、舌を上あごにぴたりとつけるのが正しい口の閉じ方だそうです)。カイロプラクティックでカラダの歪みを矯正してもらった効果も出ていると思いますが。

***

スポーツをやっていた人間は、ほんとうの集中とは「力を抜くこと」だと知っています。ぼくも陸上選手として力を抜く方法を自分なりに体得したつもりです。

でも仕事中は集中するほど、カラダのどこかに力が入ってしまう。

集中とは、力を抜くことにあり。

その意味では、ライターとしてはプロフェッショナルの域に達していないということになる。ライターになって14年。まだまだ鍛錬が必要なんだなあ。

Continue Reading