ビアンキ号で地元の加東市を散策

自転車に乗るとふだんとは違う景色が見えてきていいですね。

20日の土曜日の午前中、ビアンキ号に乗って地元加東市を散策。

初めて行く川沿いへ。

歩道が整備された眺めのいい場所。

こんないい場所があったんだ。

地元民のぼくも知らなった。

もっとアピールして市民の憩いの場所として有効活用すればいいのに。

午後は、家族で小野市のひまわり公園に。

子どもは元気が一番。

リラックスできた一日でした。

 

Continue Reading

5歳の娘のいたずら。

帰宅すると、仕事机のメモ用紙に花が咲いていた。

娘のしわざだな。

思わず笑みがこぼれる。

そして、

「これ描いたん?」

娘に聞いてみると。

メモ用紙なら――しかもこれくらい小さな花であれば大丈夫と思って描いた、と。

仕事の資料には絶対に手をつけないよう厳しく言っているので、

大切なものに落書きをすることは一切ない。

彼女なりの遊び心だったのだろう。

田舎での職住一体の生活ならではの娘のいらずら。

Continue Reading

田舎の空は広い。

おじいちゃんが買ってくれた凧を上げて遊ぶ娘。

凧を見上げて、しばし空の大きさに見入った。

空が広い。

それだけで気持ちが大きくなる。

それだけで心が豊かになる。

田舎で子育て。

そのために実家に戻ってきてほんとうによかった。

娘よ。大きく育て。

Continue Reading

神戸空港の駐車場割引を利用するためには

12月15日-16日の一泊二日でことし最後の出張先の札幌に行ってきました。

ことしの札幌は、12月上旬では29年ぶりの大雪とのことで寒い&とにかく地面がツルッツル!

周りの人はスタスタ歩いているのに、ぼくはひとり何か大きなものに踊らされているピエロのように、体を左右にスイングさせながらホテルにたどり着いたのでした。

***

今回は神戸空港を利用し、空港までは車で移動しました。田舎暮らしでもこうして車を利用すれば、全国出張もラクにこなせます。電車より多少交通費はかさみますが……。

復路。駐車場の看板である事実に気づく。

神戸空港の駐車場は「搭乗者割引」という割引システムがあり、入庫10時間超~24時間まで無料なんですね。

24時間以降は1時間150円(以降24時間毎の上限1,000円)。

神戸空港HP駐車料金・割引ご案内

車を利用する人はすごいお得。

でも搭乗者割引を利用するためには保安検査をして搭乗ゲート内に入り、搭乗待合室内にある割引機に駐車券を入れる必要があります。

その処理を忘れた場合でも挽回策はあって、それは帰りの便で到着後、手荷物受取所内にある精算機で料金精算処理をすれば割引料金が適用されるとのこと。

知らない人は何も知らないまま一般料金を支払っているはず。

僕は帰りの駐車場の看板でこの割引システムを知り……。

次、神戸空港を利用する際に忘れないよう、備忘録も兼ねた投稿でした。

Continue Reading

田舎から日本各地へ出張、意外と便利

きょうは福岡に出張。

自宅から姫路駅まで車で45分ほど。姫路駅前の大きな駐車場(姫路駅南第1ジャンボパーキング)の駐車料は終日700円で便利。姫路駅から博多駅まで新幹線で2時間。

田舎に住んでいますが、福岡への出張は楽チンです。

今度の日曜から月曜にかけては青森に出張。

自宅から伊丹空港まで車で1時間弱。伊丹空港に少し早く着いてラウンジで仕事し、飛行機で1時間程度で日本各地へ。今回の青森出張は宿泊を伴いますが、北海道から九州まで日帰りも可能です。

田舎に住んでいますが、各地への取材で大きな不都合はますます感じなくなってきました。

いちどやってみたいのは、アジア(たとえばベトナム)に用もないのにふらーっと飛んで現地のカフェで原稿を書くこと。もう日本の都市部でなくても、さらに日本国内じゃなくても、どこにいても仕事ができる時代。

Continue Reading

田舎暮らしの公共交通機関事情、都市部(大阪市)へ出るテクニック

現所在地で実家の兵庫県加東市に生活拠点を移す前に住んでいたのは尼崎市武庫之荘というところで、最寄駅の阪急・武庫之荘駅から梅田駅まで約15分でした。武庫之荘駅まで自転車で5分ほどだったので、大阪にはざっと30分あれば行けました。

それが――。

いま住んでいる加東市は田舎に加えて電車が思いっきり不便な場所。JRのみを使って大阪に行こうと思うと小旅行気分で仕事どころではなくなってしまいます。でも仕事で大阪市内にはしょっちゅう行くわけで、引っ越しする際のいちばんの心配事は交通面でした。

でも加東市に帰ってきて2年半。結論をいえば問題なし。帰省前と同じように週に数回は大阪市内に取材、あるいは全国に出張に出ていますが、心配していたのがアホらしくなるほど普通にやっています。

***

解決策は「電車+車」にありました。

加東市からJRのみで大阪まで行こうと思うとJR加古川線というのに乗って加古川駅に出て、そこからJR神戸線の新快速に乗り換えて大阪駅まで行くことになります。

最寄駅から大阪駅までは乗り継ぎがうまくいって乗車時間1時間半。家から駅までは自転車で10分なのでまあ余裕を見て2時間弱かかることになります。

加えて加古川線は1時間に1本程度のローカル線なので、行きは時間をあわせて家を出ることはできても帰りはそんなうまいこといきません。下手すれば1時間待ちもあるので日常的に使うのには現実的でない。

田舎に生活拠点を移す前、どうしようと考えながらネットで広域地図を眺めていると、大阪から篠山まで伸びているJR宝塚線というのが目に入りました。

(これええんちゃうん)

ということでいろいろ調べると、まず車でJR宝塚線の西宮名塩駅(宝塚駅の2駅篠山より)まで車で走り、そこで電車に乗り換えて大阪駅まで行くというのが最短距離で労力も少ないという結論に至りました。

西宮名塩駅には立体駐車場があり、平日だけの契約なら1万1880円で借りられるとわかり即契約。駅までは車を利用し、下道だと時間がかかる&面倒くさいので一部区間を中国自動車道を利用して40分ちょい。西宮名塩駅から大阪駅までは快速に乗れば30分。乗り換えを含めて最短で1時間20分で大阪まで行ける方法を編み出しました。

車で大阪まで行ってしまうともう少し早いのですがさすがにそれはお金がかかります。現実的には「車→西宮名塩駅→JR乗換→大阪駅」という手段が最適だと判断しました。

車なので真夏や真冬でもストレスがないし、西宮名塩駅での乗換時には屋根があるので雨や雪も心配ない。電車は時間帯によっては座れて仕事ができるし、車でドライブ気分でストレス発散にもなる。乗車中に桂米朝さんをずっと聞いて落語が好きになりました。

飛行機で出張の際は伊丹空港まで車で1時間弱だし、九州方面に出張の際は姫路駅まで車で50分弱、そこから新幹線に乗れば楽。東京方面に出張の際は新神戸駅で駐車場代がタダになる方法を見つけてしまったので条件によっては利用しています。

加東市は田舎で公共交通機関は不便ですが、いろいろな方法を駆使すれば交通事情のマイナス面をかなりカバーできるとわかりました。そもそも毎日通勤するわけではなく取材は週2、3回以内にしているので良い気分転換という感じです。

***

問題はコストです。

帰省前は阪急武庫之荘駅から梅田駅まで片道220円。時間は片道30分。

帰省後は車のガソリン代、高速道路代、電車代すべて合わせて片道約2100円。時間は1時間30分。

帰省前後で、片道の料金にして1880円、時間にして1時間のコスト増がそれぞれ発生しています。往復だと料金3760円、時間は2時間のコスト増。

年収1000万円と仮定し、1ヶ月25日稼働で日給3万3000円、1日8時間労働で時給4150円。

すると、大阪に1回取材に行くと2時間余分に時間がかかるので時給4150×2=8300円のコスト増。これに交通費の往復増加分の3760円を足すと1万2060円。

つまり大阪に1回取材に行くと、帰省前と比べて金額的に1万2060円のコスト増が発生し、週平均して2回大阪始め全国に取材に行っているとすると、1ヵ月で取材8回(4週×2回)×1万2060円=9万6480円のコスト増、1年換算ではざっと120万円の増加です(駐車場代省く)。

想定がいろいろオーバー気味の面があるので実際はそこまで行かない気もしますが、まあだいたい加東市という田舎に住むことで交通面でのコスト負担は100万円程度と見積もっていいかなと思います。

***

ただし、田舎に住むことでもろもろの生活費が削減できているというメリットがあります。といっても正直帰省前とあまり変わってませんが(笑)、ちゃんと比較すれば田舎に住んでいる現在のほうが支出は抑えられているはずです。それを勘案すると交通費負担の100万円をもう少し抑えられるようになります。

仮に田舎にUターンすることで1年で70万円コスト増になったとしましょうか。

その70万円の負担をどう捉えるか。

これはもう個人の考え方によると思います。

ぼくが田舎に生活拠点を移すことになった大きな理由のひとつは子どものためなので、自然あふれる田舎で子どもをのびのびと育てられるメリットを思うと70万円なんて安すぎる金額です。

近所の人に新鮮な野菜をいただけるし、ほかにも田舎暮らしのメリットはたくさんあって恥ずかしいほどベタな言い方をすればプライスレスの価値があります。

70万円余計にかかるんだったら70万円余計に稼げばいいだけの話で、それほど難しい問題じゃないです。

まあそんな感じで田舎で楽しく生活しながら、仕事も充実しています。

Continue Reading

カエルの大合唱を聞きながら……

いま夜の10時過ぎ。

きょう一日の仕事を終えようとしている。

ふと気づくとカエルの大合唱。

昨夜まとまった雨が降り、カエルに命が吹き込まれたのだろう。

自宅2階のリビングから見える景色。

田圃に水が引かれ、水面に夕焼けの空が映る。

cropped-1-3.jpg

その田圃を舞台に響き渡る命の声。

いま鳴いておかなければ死んでしまうといわんばかりに懸命に鳴いている。

この時期が一年でいちばん好きです。

Continue Reading

【活動記⑩】「君は何で田舎にこだわるんや?」

前回の記事はこちら→『【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

***

広告制作プロダクションを退職して神戸の会社の面接を受けたとき、社長さんに自分のライフプランを話しました。

「将来は田舎に帰り、フリーランスのライターとしてやっていきます」

そうやって入社面接で堂々と打ち明ける応募者もどうかと思うけれど、それを聞いた社長さんはぼくの発言を否定するのではなく認めてくださいました。

そのうえで、

「何でそこまで田舎にこだわるんや?」

と30分ほど質問攻めにあいました。

高校時代にアメリカのSOHOスタイルの働き方を知ってそれを目指そうと決めたこと、将来は田舎に帰って仕事をするためにライターになったこと……などなど、このブログのカテゴリ(田舎ライター活動記)で書いてきたようなことをつらつら説明したのですが、

「でも男やったら田舎に引っこまず、仕事で大成したいと思わへんのか」
「田舎にこだわらんでも君のしたい仕事はいくらでもできるんとちがうんか」

となかば詰問状態に(笑)

たじたじになりながらも返答していくなか、

(たしかによく考えるとそこまで田舎にこだわる必要もないか……)

とは、思いませんでした。

まあ、最終的には、生み育ててくれた両親の近くに住み働きたいということなのかもしれませんが、「自分なりのビジョンを持とう」という、自分自身もよくわかっていない深層心理の選択にしたがって信念が形成されてきたのかもしれません。

自分で自覚できている「意識」なんてたかだか5%、残りの95%は「無意識」に支配されているといいます。95%は深海のように奥深い潜在意識の領域なので、本人ですらその真意が推し量れないこともたくさんあるのでしょう。でも結果として、自分が望む人生を忠実に生きているということになるのですが。

***

ともあれ、入社面接で「将来はフリーになる」、つまり「いずれ会社を辞めます」と宣言しているような人間を採用していただいてほんとうに感謝しています。

その神戸の会社で2年弱働いて多くの経験を積ませていただいたのち、2008年、30歳のときにフリーランスとして独立して現在に至っています。

Continue Reading

【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

前回の記事はこちら→『【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

***

大学卒業後に入った印刷会社を退職後、ぼくはどうしたか。中島らも師匠の経歴を思い出し、コピーライターの学校に通うことになります。師匠は印刷会社で働きながら宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていたというのを知り、ならばということで自分も同じ門をたたいたのです。

こう書くとまったく主体性のかけらもありませんが、実際に当時のぼくには主体性のかけらもありませんでした。それでもライターになるという目標だけは見失わずに過ごせたのは、将来ビジョンだけはしっかり描いていたから、かもしれません。

退職後と書きましたが、実際には印刷会社を辞める前からコピーライター養成講座に通わせてもらいました。講座の場所は、大阪本町の靭公園の横のビル。少し早めについた日は靭公園で時間を潰して……このころがいちばん辛かったですね。

陸上を辞めて社会に出たものの、仕事はうまくいかないし、ライターになれるかどうかもわからない。陸上競技は目標を持ち、その目標に向けて努力することができた。でもライターという目標の場合、努力のしかたがわからなかった。あるいは努力をしたつもりでも、まったく方向違いかもしれない。それがわからない……。

***

つかみどころのない毎日に漠然とした不安を覚え、それでもなんとか講座は修了。印刷会社は受講中に退職し、パチンコ屋で派遣で働きながら口を糊する日々。

その後は東南アジアを放浪したりもしながら(笑)、ようやく『「どうやってライターになったんですか?」』で書いたように大阪の広告制作プロダクションに拾ってもらいライター生活がスタートすることになります。

広告制作プロダクションでは4年弱働き、コピーの基本を厳しく叩き込まれました。これは自信を持って言えることですが、仮にコピーライターが1000人いたとすると、999人目にコピーが下手くそといえるほどコピーが書けませんでした。指導してくださった先輩や社長は苦労されたはずです。それでもさじを投げることなく、ねばり強く指導していただいたからこそ、いまの自分があります。大変感謝しています。

***

広告制作プロダクションを退職後、出版社を傘下に持つ神戸の会社に就職。主に書籍の編集やライターの仕事をするようになりました。将来的に地元にUターンすることを見越して兵庫の会社を探していたこと、また面接時に社長さんがぼくの将来ビジョンを認めてくださったことが入社の決め手となりました。

次の記事はこちら→『【活動記⑩】「君は何で田舎にこだわるんや?」

Continue Reading

【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

前回の記事はこちら→『【活動記⑦】中島らも師匠に影響を受けてライターを志す

***

「どうやってライターになったらいいんやろか?」

大学時代に就活をした際、ライターのなり方がわからずに広告代理店の面接を受けようとしたものの、すでに代理店の採用活動は終了済み。

次にぼくが目をつけたのは印刷会社でした。

当時、心酔していた中島らも師匠が印刷会社から社会人人生をスタートされていたからです。

「なんで印刷会社なんやろ?」

そう思いながらも資料を調べていると、クリエイティブ部門を持つ印刷会社が多いことに気づきます。そこで数社の会社説明会に参加、京都の印刷会社から内定をいただきました。

***

その印刷会社は社員数がたしか700名(当時)ほどで、業界では中堅に位置する会社でした。わりと大きなクリエイティブ部門を持ち、デザイナーやコピーライターも在籍していたのです。

ですが新卒で入ったぼくの所属はクリエイティブ部門ではなく、本社の営業部隊。クリエイティブ関係の採用は中途が多かったんじゃないでしょうか。とにかく師匠と同じ経歴の第一歩を踏み出せたことに胸をなでおろし、社会人としての歩みを始めることになります。

ところが、経緯は省きますが新卒で入ったその印刷会社を2年弱で退職することになりました。理由は、社会と組織に適合できなかった、陸上以外は何をやってもダメだった、ということに尽きます。

当時のぼくは社会人として生きていくにはあまりにも未熟で、自分を保つことができなかった。入社3年以内に辞める新卒が社会問題になって久しいですが、ぼくはその走りといってもいいかもしれません。

***

会社に伝えた退職理由は「ライターの道をめざしたい」ということでした。この点において自分の信念はブレていないわけですが、投資をして新卒人材を採用した会社側に立ってみれば「なにあほなこと言うとんねん」ということになります。

にもかかわらず。

にもかかわらずですよ、上司は「高橋君、ライターになりたいんやったら、うちの会社のクリエイティブ部門に異動してコピーライターになったらどうだろう。話をつけてあげるよ」とまで言ってくださった。

にもかかわらず。

にもかかわらずですよ、ぼくは一度辞めると伝えてしまった手前、そのあたたかい上司の配慮もお断りして退職したのです。しかも送別会まで開いてもらって……。ほんとうに恥ずかしい限りです。

こうして振り出しに戻ってしまったぼくは次、どうしたか。

またまた、中島らも師匠と同じ経歴を辿ることになります。

次の記事はこちら→『【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

Continue Reading