ことしも無事、確定申告を迎えられたことに感謝。

きょう朝一番で地元の税務署に行き、確定申告をしてきました。

2008年1月にフリーランスライターとして独立し、翌2009年2月に初めて確定申告をしたときは緊張しました。

自分ひとりで税務署に行くのが心許なくて、嫁さんについてきてもらったりして(笑)。

ふたりでドキドキしながら申告をしたのはいまでは懐かしい思い出です。

早いもので、今回の確定申告は9回目。つまりフリーになって9年目ということです。

確定申告はたしかに面倒な作業ですが、それもお仕事をいただけているからこそ。確定申告を無事、終えられたこと自体がありがたいと改めて実感します。

一年後も無事、確定申告を迎えられるよう、ことし一年、仕事に誠実に取り組んでいきたいと思います。

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『文章のかたちとこころ』(尾川正二著)を読んで。

長く積ん読状態にあった尾川正二先生の『文章のかたちとこころ―書くということ (ちくま学芸文庫)』を読了。尾川先生の文章関連の本は清水幾太郎先生の『論文の書き方 (岩波新書)』に代表される文章関連の本とともに座右の書となっています。

『文章のかたちとこころ』はタイトルどおり文章の表現や形式といった「かたち」の解説にとどまらず、「こころ」とことばのかかわりまで示唆してくれる本です。かたちにこだわるだけでなく、こころにまで踏み込むことで、気品と節度をもった文章が書けるようになる、そう教えてくれます。

打ちのめされたなあ。

〝いい文章〟が書けるようになるまで、いったいどれほどの修練が必要なのだろう。

こころに響いた内容のほんの一部を以下に。

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  • 知らないことは語らぬこと。空虚であればあるほど、充実感を装う冗漫な文章になり、スピード感を失う。
  • 作意的になったり、窮屈なことばに頼ると、空疎さを暴露するにとどまる。
  • 自分への信頼――自分の眼、自己への誠実、それが生きた文章を創造する。

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ブックライターとは、極端にいえば自分がよく知らないこと、自分の専門外のことを著者に成り代わって書く専門家といえます。でも尾川先生は、知らないことを語ろうとすると「充実感を装う冗漫な文章」になるから注意せよとぼくに語りかける。

ブックライターとしての取り組み姿勢。自分のことばで生きた文章を書けるようになるまで、担当する書籍の分野についてよく学べ、そう忠告を受けたようで身がひきしまる。

『文章のかたちとこころ』にはこんな一文もありました。

  • 文章を書くということは、一人の人間の能力全部を出し尽くすということである。

結局、ライターとしての実力を高めるには、自分を磨くしかないのか。先が長いなあ。

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日本最古の神社「伊弉諾神宮」に参拝

急きょ取材が延期になって一日ぽっかり空いたので、淡路島の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)にお参りしてきました。きょうで二回目。

伊弉諾神宮とは、国生み・神生みの神様である伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)と伊弉冉大神(いざなみのおほかみ)をお祀りした神社です。

『古事記』『日本書紀』によると、男神の伊弉諾大神と女神の伊弉冉大神の最初の子として生まれたのが淡路島でした。両神はその淡路島に天下り、夫婦の契りを結んで国生みの儀式を執り行い、その後、次々と島を生みやがて誕生したのが日本とされています。

伊弉諾神宮は、伊弉諾大神が後に余生で過ごした住居跡に建てられた神社で、『古事記』『日本書紀』に記載がある中では日本最古の神社といわれています。

そんなに伊弉諾神宮に昨年、初めて家族で参拝し、今回、ふと思い立って車を走らせました。

鼻の奥がつんと冷えるほどの寒さのなか、神社の静謐さに全身が包まれたようで、心身が引き締まった気がしました。

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帰りに、神社そばの売店で娘と嫁さんにお土産を買ったところ、お店の人に「このおこわもどうですか」と宝来堂という老舗和菓子屋の酒饅頭「まわり弁天」を勧められて買ったところ、品の良い甘さでめちゃくちゃ美味しかったです。

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皆さま、よいお年を。

ほぼ日手帳に置いているのはデルタのPARTHENOPEというボールペン(廃盤)で、まだコピーライターをしていた10数年前に買いました。以来、一度留め具が壊れて修理に半年くらいかかった時以外、取材時はずっとこのボールペンを使ってきました。

何名ほどの方を取材させていただいたかなあ。正確にはわかりませんが、ライター人生の多くをこのペンと歩みました。時に軽やかにノートに走らせ、時に脂汗をかいてグッと握り締めたりしながら、なんとかこの仕事を続けてきました。

今年はいろんな意味で大変な年でした。気持ちを込めて仕事に取り組んでいるつもりでも、世に出るといろんな意見をもらったり。自分を信じるしかないのでこれからも前を向いてやっていきます。

新しいことに挑戦すると位置づけた2016年。ぐっと身を固くして縮こまり、なかなか動こうとしてきませんでしたが、ようやくひとつ決めました。来年はそれを本格化させていこうと思っています。

皆さま、今年もお世話になり本当にありがとうございました。感謝、という言葉を使っても嘘くさいので、なんとか仕事で少しでもご恩をお返しできるよう来年以降も引き続きがんばってまいります。このペンを差して。もう古くてつぶれそうですが、笑。

それではよいお年をお迎えください。

(Facebookからの転載)

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原稿や資料を印刷するときは「2ページ見開き」で一覧性をもたせたい

書籍ライターとして新しく担当させていただく本の案件の仕込中。

wordのコメント機能を利用し、テープ起こし原稿(インタビューの音源を文字に書き起こしたもの)の重要箇所に要約を書き込んでいます。

2時間のインタビュー音源を文字に起こすと、著者の話すスピードにもよりますがだいたい2万~3万文字になります。それだけの文字がだーとひたすら並んだ状態のままだと、どの箇所に重要な内容が書いてあるのかパッと見て判別つきません。だからコメント機能でポイントを抽出して要約し、視認性を良くするわけです。

この作業をやっておくと、実際に原稿を書く際に都合が良い。テープ起こしの地の文の横にポイントが並んでいるので、その要約部分をさーっと流し読みするだけで内容がつかめるからです。詳しい内容を再確認したい場合は、横の地の文を読めばいい。

書籍の原稿を書くまでには、ほかにもいくつかの作業のプロセスがあります。機会があれば公開します。原稿を書くのは最終段階で、それまでの仕込みがじつは大変だったりします。

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テープ起こし原稿に要約を書き込んだwordファイルは、2ページの見開き展開で印刷します。

理由は、一覧性を良くしたいから。

パッと見た際にできるだけ多くの情報を視認し、できるだけ多くの情報を一度に処理したいのです。1ページずつだと視界に入る情報が少ないから気持ち悪いというか、フラストレーションが溜まる。

テープ起こし原稿に限らず、仕事の資料やHPをプリントアウトする際も2ページ展開が基本です。

ふだん、見開きの紙の書籍で全体を捉えるのに慣れているからかも(?)

巻物になると左右に長すぎて、それはそれで面倒くさそう。2ページ見開きというのは、人間の視野の中でも焦点を合わせて内容を理解しやすい、調度よい画角なのかもしれないですね。

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「逆説の接続詞」をよく使う人は自分の頭で考えている?

これ(文章の展開がパターン化しない接続詞の使い方、いまだ模索中 )と似た内容ですが。。。

接続詞をなるべく使わない文章を心がけていますが、「逆接の接続詞」は例外的にけっこう使います。

文章を書く行為は極めて主観的、あるいは内省的な営みなので、ともすれば独りよがりの展開になってしまいかねません。書き進めるうちにどんどん悦に入ってきて、我に返ったときには読者を置き去りにしていた、みたいなことに陥ってしまう可能性もなきにしもあらずです。

そうやって書き手の独壇場で筆が進んだ文章は突っ込みどころ満載で、読者の頭の中は「?」のオンパレードになっていきます。

だから書き手は、読者が疑問に思いそうな箇所や反論をさしはさみそうな箇所を想定し、読み手の理解を手助けしていかなければならない。

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読者が「?」と思いやすいのは、たいてい書き手の意見や主張を述べている箇所です。「私はこれこれこう思うのであります」という書き手の主張に対して、「そんなことあれへんやろー」と突っ込みを入れる、みたいな感じです。

そうした読者の「?」を残さず摘んでいくためには、書き手は意見や主張の根拠、背景をていねいに説明しなければなりません。

そのとき、逆接の接続詞で自説を補強するのが効果的だったりするのです。

「私はこれこれこう思うのであります」と述べたあと、読者から「そんなことあれへんやろー」という突っ込みが入ることをあらかじめ想定し、「私のこれこれこういう意見に対して、それそれそういう反論があるでしょう。しかし、私はほれほれほういう理由でこう考えるのであります」といった具合です。

この展開は、あまり多用すると説教じみてうるさいので注意しないといけませんが、読者に寄り添った文章にしたいという書き手の努力が表れた結果だと個人的に思っています。

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むずかしいことは抜きにして、文章を書く際に「逆接の接続詞」を日常的に多く使う人は自分の頭で考えている人、ともいえるんじゃないかと最近思ったりします。

「しかし」や「だけど」という接続詞は、自分の考えがなければ使うタイミングは多くないですから。

話し言葉で「しかし」ばっかり言ってる人は友だちになりたくないですけど(笑)

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※ちなみに接続詞に関する好著はこちら『文章は接続詞で決まる (光文社新書)』。接続詞の役割と効果的な使い方が凝縮した一冊で勉強になります。

あとこんな本『文章が一瞬でロジカルになる接続詞の使い方』も。論理的な文章の書き方について、このページで書いたのと同じようなことが書いてありましたので参考に。

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人間の体も仕事の姿勢も軸が大事

人間の体は数千、数万のバランスによって成り立っていると個人的に思っています。

ひとつ崩れると、その崩れを補うためにほかの箇所が崩れ、その崩れを補うためにまた別の箇所が崩れ……そうやって際限なく崩れ支え合いながら、全体として体の均衡が奇跡的に保たれている。

ある意味で非常に危うい状況です。まるで小さな子どもが積み上げた積み木のように。

うちの4歳の娘は積み木をむちゃくちゃに重ねていくけれど、なぜか崩れずけっこう高くまで積んでしまいます。人間の体も同じやなあと、それを見て思ったりします。

だから軸をつくったジョギングを重視しています。

軸足の接地面から脳天まで軸を通し、トントンと振動を体に加えながら走る。そうすることで、まるで不揃いの積み木が軸に沿って揃っていくようなイメージで体のバランスが整っていく(というイメージを持つ)。ジョギングする際に軸はとても大事です。

仮に軸がずれた状態でジョギングしてしまうと、そのずれた軸に沿って体が再調整されていきかねず、全体として体のバランスが崩れてしまいかねません。

客観視するのはむずかしいですけどね。だからカイロや整形外科で外部の目を入れる。正しい軸が通っているのかを客観的に評価してもらう。主観的な判断だけでは自分の体を見極めるのは不可能です。

軸が大事というのは、体づくりだけでなく、仕事の取り組み姿勢や生き方にも通じるなと最近よく思います。

ぼくの仕事における軸はこれです。

「職業は編集ライター、仕事は一人でも多くの人の役に立つこと、一人でも多くの人に感動や喜び、希望を与えること。」

この軸に沿ったことをやる、ずれたことはやらない。そう意識して仕事に取り組んでいます。

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文章の展開がパターン化しない接続詞の使い方、いまだ模索中

「そして」や「また」といった並立の接続詞はなるべく使わないよう意識しています。

とくに1000文字程度の短いインタビュー原稿を書く際は、一度でも使った時点で「負け」と思っているので基本使わない。並立の接続詞を使用した時点で論理展開が破綻している可能性が高いからです。書籍の原稿はさすがにゼロというわけにはいきませんが、安易に用いないよう自分を戒めています。

並立の接続詞には、前後の文や文節をつなぎ、そのつないだふたつの文・文節が対等関係にあることを示す役割があります。

そもそも前後の文脈がしっかりしていれば「そして」や「また」をわざわざ入れる必要はないし、入れないと意味が通じない文章であるのならすでに何らかの論理破綻をきたしていることになります。後者の場合は接続詞に頼るより、文章の展開自体を見直したほうがいい、そう思っています。

と言いながら、つい〝手がすべって〟不必要な箇所に使ってしまっていることはたまにあります。

並立の接続詞に限らず、接続詞はできる限り使わないで文章を書きたいと意識しています。接続詞が少ない文章は、まるで清流に身を任せて川面をすべる小舟のように、意味が淀みなく流れていくから読んでいて気持ちいいです。

しかし、と「しかし」をここで使ったように、逆接の接続詞は例外的によく使用します。川の水面に頭をのぞかせる小岩のごとく、小舟をくるんと逆転させる効果があるからです。

「ぼくはこれこれこう思う。それはこれこれこういう理由です。そうやってこれこれ思っているぼくの意見に対して、それはほれほれだろうという反対意見があるのも理解しています。しかし……」

というように、自分の意見を主張したうえで反論をさしはさみ、その上で自分の意見をかぶせて補強するというような論文的な展開が必要になる場面がけっこうあります。

ある意味、それらしい文章を書く際に逆接の接続詞は便利だったりします。つい多用してしまいがちになるのですが、あまり頻繁に使用してしまうと文章がパターン化して読み手は腹立ってくるんですねー。

展開が読めてしまうというか。言いたいことが分かってしまうというか。

接続詞の使い方はむずかしいです。

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※ちなみに接続詞に関する好著はこちら『文章は接続詞で決まる (光文社新書)』。接続詞の役割と効果的な使い方が凝縮した一冊で勉強になります。

あとこんな本『文章が一瞬でロジカルになる接続詞の使い方』も。論理的な文章の書き方について、このページで書いたのと同じようなことが書いてありましたので参考に。

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ブックライターとして大切にしていること

ブックライターの仕事に誇りをもっています。この仕事が天職じゃないかと思うほどです。

なぜそう思えるのかというと、著者の方々が世の中の一人でも多くの人にどうしても伝えたい思いを直に伺い、それを一冊の書籍にまとめる大役を任されているからです。ライターが書く原稿の良し悪しで本の出来が決まる、そういっても過言ではありません。

とはいえ、著者本人がペンを握るのが、やっぱりいちばんだとは思います。著者が書いた文章は多少難解な面があったとしても、そのひと言、その表現の選択に、本人にしか分からない経験や思考の痕跡が乗っかっているからです。

その言葉を紡いだ著者の深層心理は、いくらヒアリングを重ねて著者のことを理解したつもりになっていたとしても、ライターには到底踏み込むことができない神聖な領域です。著者から「私の言いたいことをうまくまとめてくれた」とお褒めの言葉を頂戴する機会もあるわけですが、それでも著者本人が汗を流して原稿を仕上げるのがいちばん濃い内容の本になると思います。

ブックライターの自分の存在意義を否定するのかと思われるかもしれません。しかし矛盾するようではありますが、ブックライターがいるからこそ世に出ることがなかったかもしれない宝物のような情報が掘り起こされて一冊の書として編まれ、その宝石のような本が書店に並び、必要とする読者の手に届き、感動や喜びを与えられるようになるのもまた事実です。

著者の思いが読者に届く、これはほとんど奇跡です。その奇跡を起こす当事者のひとりとして、現場に立ち会えるこの仕事に誇りを感じるし、なにより面白くないわけがない。

ぼくのプロフィールは、「職業は編集ライター、仕事は一人でも多くの人の役に立つこと、一人でも多くの人に感動や喜び、希望を与えること。」という一文でしめくくっています。

一介のライターに過ぎませんが、「書籍を通して一人でも多くの人に著者の思いを届ける」のがぼくの「仕事」かなと思っています。

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一冊の本を書くためには「軸」と「流れ」が必要

いま新しい書籍の原稿を書くための下準備をしています。

テープ起こし(取材の音源を書き起こした資料)や各種の関連資料をひたすら読み込み、書籍全体の「軸」と「流れ」を〝自分のもの〟にするための儀式です。

単発のインタビュー原稿であれば取材後にパッと取り組めますが、一冊まるごと書く場合はこの儀式を経ないとこなれた文章が書けない気がしています。

書籍全体を串刺しにする軸が腑に落ちていないと内容や表現が揺れるし、流れが自分のものになっていないと項目ごとに内容がぶつ切りになってしまうからです。

この儀式は、ただ資料を読んでいるだけといえばそれだけなのですが……とにかく腹が減る!

アホな頭の内部のどこかがたぶん局所的にフル稼働していて、ブドウ糖をものすごい勢いで消費していると思われます。

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この儀式を終えると、次に各章の項目出しと、それぞれの項目のキーワードを並べていきます。構成づくりですね。

ここで書籍全体の流れをさらに脳みそに浸透させていきます。こういう地道な作業を続けるうちに、書籍全体の軸と流れが自然な感じで身になっていく実感があります。

この実感がつかめるころになると、それまでこんがらがっていた情報が理路整然と整理され、実際の原稿の書き出しや内容がおぼろげながらイメージできるようになっていたりします。

そうなると、あとはキーワードをひたすら打つのみ。原稿を書くのは、思考作業を終えたあとの肉体労働、みたいな感じです。

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ところで、ライターさんによっては書籍全体の流れや章ごとの展開に関係なく、書ける項目から先にどんどん書いていって、途中でつなげて全体の流れを整理する人がいるみたいなのですが、ぼくは絶対にムリ。

軸と流れを頭に叩き込んだ状態で、実際に本を読むように1章のはじめから順番に書いていかないと全体的にぎこちない内容になってしまう。最初から書かないと気持ち悪いというか。

いま思いついたけど、お遍路さんの逆打ちのように、本の最後から最初に向かって書いていくとどうなるやろ(笑)。そんなことやるわけないけど。

でも雑誌は最後から読むのが好きだったりするんですけどね。

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