皆さま、よいお年を。

ほぼ日手帳に置いているのはデルタのPARTHENOPEというボールペン(廃盤)で、まだコピーライターをしていた10数年前に買いました。以来、一度留め具が壊れて修理に半年くらいかかった時以外、取材時はずっとこのボールペンを使ってきました。

何名ほどの方を取材させていただいたかなあ。正確にはわかりませんが、ライター人生の多くをこのペンと歩みました。時に軽やかにノートに走らせ、時に脂汗をかいてグッと握り締めたりしながら、なんとかこの仕事を続けてきました。

今年はいろんな意味で大変な年でした。気持ちを込めて仕事に取り組んでいるつもりでも、世に出るといろんな意見をもらったり。自分を信じるしかないのでこれからも前を向いてやっていきます。

新しいことに挑戦すると位置づけた2016年。ぐっと身を固くして縮こまり、なかなか動こうとしてきませんでしたが、ようやくひとつ決めました。来年はそれを本格化させていこうと思っています。

皆さま、今年もお世話になり本当にありがとうございました。感謝、という言葉を使っても嘘くさいので、なんとか仕事で少しでもご恩をお返しできるよう来年以降も引き続きがんばってまいります。このペンを差して。もう古くてつぶれそうですが、笑。

それではよいお年をお迎えください。

(Facebookからの転載)

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企業出版の本づくりに携わる醍醐味。

企業出版として出される書籍の執筆をはじめて10年ほどになりました。

企業出版とは、著者となる社長さんや企業自体が出版費用を負担してつくる出版形態のことです。

商業出版と企業出版の違いのひとつは出版フィーをどちらが負担するかということですが、執筆を請け負うライターとしてのいちばんの違いは「出版社主導の企画内容か」「著者主導の企画内容か」という点です。

商業出版は、基本的には出版社が世に問いたい内容を企画して著者に執筆を依頼します(著者持ち込み企画の場合は別です)。それに対して企業出版は、著者が世に問いたい内容を出版社に持ち込んで制作を依頼します。

企業出版として出される書籍の執筆を請け負う場合、ライターは著者が世に問いたい内容をヒアリングし、その内容をもとに企画構成して文章に落とし込んでいきます。

***

ここに落とし穴があります。

それは、著者が世に問いたい内容は、世の中の人がほんとうに知りたい内容なのかということ。

著者の伝えたい内容と読者の知りたい内容にミスマッチが生じていた場合、本の出版は著者の自己満足に陥ってしまうリスクがあり、読まれない本として市場に出てしまう可能性がある。

だから、ぼくのような書籍ライターは、著者、出版社の編集者と3者で「あーでもないこーでもない」と喧々諤々、著者が世に訴えたい内容と読者が知りたい内容をすり合わせていくクリエイティブな作業を続けることになります。

企業出版の書籍づくりが成功するかどうかは、この「あーでもないこーでもない」作業がうまくいくかどうかにかかっているといっても過言ではありません。

著者、編集者、ライターの3者が信頼関係で結ばれているからこそ、この調整作業はうまく運んでこれ以上ないという落としどころが見つかることが多いです。

***

こうやって3人4脚で企画構成を練りに練ったうえ、取材に入り、執筆を始めるのが書籍ライターとしての理想のプロセスです。

その企画構成にいたった紆余曲折をみんなで共有している。その企画構成で進めようという企画決定までのプロセスをみんなで共有している。

そうやって3者が企画構成について共通認識をもっておくことで、書籍ライターは自信をもって執筆に入れます。各方面への不必要な配慮といった雑念もなく、純粋に「いい原稿にしあげよう!」とおのずと筆に力が入ります。

さらに企画構成をみんなで共有しているから、書籍ライターは1本筋のとおったブレのない原稿を書きやすくなります。

そうやって書かれた原稿は著者にとっても自分の思いとズレがすくなく、編集者にとっても修正がすくない「よい原稿」になりやすいです。

そんなプロセスを経てつくれた本には、信頼関係で結ばれた3者の思いがぎゅーっと詰まっているから、読者にとっても読みごたえがある「よい本」になってくれる可能性が高いです。

そんな企業出版に携われるのが、書籍ライターとしてのいちばんの醍醐味です。

企業出版に関するお問い合わせはこちら

関連ページ:企業出版をお考えの経営者の方々へ

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手がけた書籍を初めて手にしたときの喜び。

何も買った覚えがないのに宅配便が来た時は、「あ、完成したんかな?」とちょっと嬉しくなります。できたてほやほやの書籍のことです。

手がけた書籍を出版社の編集者さんに送ってもらい、それを手に取る瞬間が好きです。まだ書店に並ぶ前の本。きょうも1冊送られてきました。多くの読者に届きますように。

8月に出版された尊敬する先生の書籍がすでに3刷目で、まだまだ反響があるようです。制作に携わらせていただいた者として本当に嬉しいです。多くの読者に届きますように。

いま進めている2冊の書籍も一冊入魂で頑張ろう。

※facebookからの転載

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友人の活躍を刺激に

保育園から帰ってきた娘を囲み、嫁さんと3人で夕方におやつタイムをしているとき、友人から電話がかかってきた。

「まいど。きょうは家で仕事?」

「せやで」

「娘が〇〇ちゃん(うちの娘)に会いたいって言うてるから、いまから少しだけ家、訪ねてもええかな」

こんな感じで友人は子ども2人を連れて我が家にやってきた。

友人の上の娘は、うちの娘と同じ4歳。これまで2度会って遊んだことがあり、うちの娘のことを覚えていてくれたのだ。

再会して一瞬だけ照れていたけれど、すぐ打ち解けて遊び出す子どもたち。

友人はことし福祉施設をオープンし、いま2店舗目の立ち上げ準備に奔走している。

雇われる身から雇う側へと転身し、事業所を軌道に乗せるまでの生みの苦しみを味わっているのか、友人は体重が激減してかつての容姿は見る影もない。

「とにかく10キロほど太ってくれ。見慣れん」

そんな冗談を言いながらも、地域のために骨身を惜しまず仕事に向かう友人を誇らしく思う。

と同時に、

(おれもがんばらねば)

と、気持ちを新たにする。

子どもがとりもった友人とのちょっとした再会に感謝。

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変化の年、バネを溜め、新たな一手を。

ことしは変化の年と位置づけています。

と同時に、踊り場ですこし足踏みするよう自分を手なずけてもいる。

2008年1月1日にフリーランスのライターとして独立して以来、休まず階段を駆け上がり続けてきました。

アゴがあがり、息はきれ、バネは伸び切り、次の一歩を踏み出す気力も余裕もない。

そんな状態が続き、「これはあかん」といったん止まってしゃがみこむことにしました。

陸上競技には「溜まりバネ」ということばがあります。

ケガなどで練習を長く休むと体が超回復し、本番で高いパフォーマンスを発揮できるような状態をさします。

いまはケガをしているわけではないけれど、階段の踊り場で力を蓄え、次の一歩に備えようと思う。

2016年、後半に入りました。

変化の年として、書籍ライターとしての新しい道を拓く事業を始める予定です。

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「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」

詩のことはよくわからないけど、安西冬衛のこの詩は折りに触れて思い出す

一匹の蝶が波にうねる大海原の上をひらひらと飛んでいく。

その情景を思い浮かべると言いようのない悲しみが胸を衝く。

そしてああ自分もこの蝶のような存在だなと、思う。

フリーランスは、何の拠り所もなく大海原を飛ぶ蝶と同じ。

力尽きると落ちるだけ。

だれも助けてくれない。

しかし、景色は広いんだ。

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ぼくが広告のキャッチコピーが嫌いな理由(2)

最近、思う。

「思う」がつくキャッチコピーが多くないかと。

文末を「思う」で締めくくれば、なんとなくキャッチコピーっぽくなるからつけとけ、みたいな。

たとえばこんなコピー。

◎日本の時計は美しいと思う。
ぜんぜん思わんでいいと思う。実際に美しいんだから。「日本の時計は美しい。」と言い切ってくれたらどれだけ気持ちいいか。

◎日常でたまった疲れは、日常でとれないと思う。
わざわざ思わなくても、「日常でたまった疲れは、日常でとれない。」ではなぜだめなのか。なぜストレートに言ってくれないのか。

コピーライターの川上徹也さんは著書『こだわりバカ (角川新書)』で、「空気のように何の効果もないようなフレーズ」のことを「空気コピー」と揶揄されている。「思うコピー」の多くも「空気コピー」だったりして??

◎ブラで女の一日はけっこう変わると思う。
お、おう。。ぼくは知らんけど、そう思うならそうなんでしょう。でも、なぜ「変わる。」で締めてはいけないのか。「けっこう」をつけているんだから、断定を避ける目的の「思う。」はいらないはず。

◎日本人の味覚は世界一繊細だと思う。
ぼくが「思うコピー」に違和感を覚えるきっかけになったコピー。お茶のCM。全体的に味のあるCMなので、ある意味で「思う。」という語感がCMの雰囲気をやわらかく包み込んでいい感じになっているかもしれない。

だけど、仮に「日本人の味覚は世界一繊細です。」としてしまうとコピーになりませんね。ということは、コピーにならない一文を「思う。」という文末表現でごまかしているのか。まあ広告規制にひっかかるのかもしれないけど、なんかもやもやしてしまう。

コピーライター時代に気の利いたコピーが一本も書けなかった元コピーライターは思うのであります。

◎賃貸住宅を変えるのは、木だと思う。
これも最近気になった一本。そもそも、だれが思ってるの? 「賃貸住宅を変えるのは木です。」と言い切ったらふつうの一文になってしまうしちょっと意味もわからないし、広告文はむずかしいですね。

◎言えないことの方が多いから、 人は書くのだと思う。
ほんとそうだと思う。ラブレターもそうですね。でも、このキャッチコピー、上のコピーと同様、だれが思ってる? 「思うコピー」全般にいえることだけど、雰囲気に乗せられて「そう思わされている感」があるのがきもちわるい。

ちなみに、これと同じようなコピーで好きなのはコレ↓

◎言えないから、歌が生まれた。
ミスチルの『君が好き』のキャッチコピー。いいなあ! こんなコピーを一度でもいいから書いてみたいなあ!

◎老いてゆく姿を孫に見せること。それも教育だと思う。
どれもこれもたしかにそうなんです。でも、しつこいけどなぜ「思う」のか。このコピーも同様、「老いてゆく姿を孫に見せること。それも教育です。」としてしまうとコピーにならない。文章の座りがわるいというか。じゃあ文末表現の「思う。」は、座りを良くするためだけのものなのか。

◎昼寝の姿を子どもに見せること。それも教育だと思う。
いま考えました(笑)。こんなアホみたいなコピーすらも、下手すれば広告になってしまいそうな盲目的な感じが広告にはありますね。

一方。

こんな「思うコピー」もあります。

◎年賀状は、贈り物だと思う。

ん?

なぜか「思う。」が気になりにくい。「空気コピー」との違いはなんだろうか。消費者が漠然と思っていること、期待していることをあたたかく、絶妙に言語化してくれているからかもしれない。

このコピーは誰が書いたんだろうと調べると、岩崎俊一さんだった。仲畑貴志さんと並んでぼくが好きなコピーライターの二大巨頭。岩崎さんは2014年に亡くなっていたと知りショックを受ける。

そして次のコピー。

◎私がきれいになることも、親を幸せにすることだと思った 。

これはいい!

結婚式のコピー。なんでいいのかなと考えると、主体があるからかも。「私」という主体があるからこそ、親を思う娘の思いをその一文から感じられるからこそ、読み手は主人公である「私」に共感できるのかもしれない。

反対に、「思う。」の主人公が不在の場合、読み手は無意識にその主体は広告主だと理解し、「思わされている」「誘導されている」と無意識に感じて共感できないのかも。

ちなみに、このコピーを書いた方を調べると、『大人たばこ養成講座』シリーズを担当された岡本欣也さんでした。この方も僕が好きなコピーライターのお一人で、なんと岩崎俊一事務所で活躍されていた方!

前述の「年賀状は、贈り物だと思う。」というコピーの広告主である日本郵政の仕事を、岡本さんは岩崎俊一さんと共に手がけられていたと。やっぱり好きなコピーを書く人はこうやってつながっていくなあ。

番外編

◎一流は勝てると思い。二流は勝ちたいと思う。
これもいいなあ。スポーツ選手の心理を言い当てている。そもそも何のコピーやろ。

まとめ

すっきりとした解決には至っていませんが、文末が「思う。」のキャッチコピーの良し悪しは、その一文に主体があるかどうか。だれが思っているのかというその存在がはっきりしていれば、コピーにストーリーが宿る。結果、消費者はその主人公に共感でき、コピー自体に意味と価値が生まれるのでは、と「思う。」

関連ページ:ぼくが広告のキャッチコピーが嫌いな理由。

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原稿や資料を印刷するときは「2ページ見開き」で一覧性をもたせたい

書籍ライターとして新しく担当させていただく本の案件の仕込中。

wordのコメント機能を利用し、テープ起こし原稿(インタビューの音源を文字に書き起こしたもの)の重要箇所に要約を書き込んでいます。

2時間のインタビュー音源を文字に起こすと、著者の話すスピードにもよりますがだいたい2万~3万文字になります。それだけの文字がだーとひたすら並んだ状態のままだと、どの箇所に重要な内容が書いてあるのかパッと見て判別つきません。だからコメント機能でポイントを抽出して要約し、視認性を良くするわけです。

この作業をやっておくと、実際に原稿を書く際に都合が良い。テープ起こしの地の文の横にポイントが並んでいるので、その要約部分をさーっと流し読みするだけで内容がつかめるからです。詳しい内容を再確認したい場合は、横の地の文を読めばいい。

書籍の原稿を書くまでには、ほかにもいくつかの作業のプロセスがあります。機会があれば公開します。原稿を書くのは最終段階で、それまでの仕込みがじつは大変だったりします。

***

テープ起こし原稿に要約を書き込んだwordファイルは、2ページの見開き展開で印刷します。

理由は、一覧性を良くしたいから。

パッと見た際にできるだけ多くの情報を視認し、できるだけ多くの情報を一度に処理したいのです。1ページずつだと視界に入る情報が少ないから気持ち悪いというか、フラストレーションが溜まる。

テープ起こし原稿に限らず、仕事の資料やHPをプリントアウトする際も2ページ展開が基本です。

ふだん、見開きの紙の書籍で全体を捉えるのに慣れているからかも(?)

巻物になると左右に長すぎて、それはそれで面倒くさそう。2ページ見開きというのは、人間の視野の中でも焦点を合わせて内容を理解しやすい、調度よい画角なのかもしれないですね。

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「逆説の接続詞」をよく使う人は自分の頭で考えている?

これ(文章の展開がパターン化しない接続詞の使い方、いまだ模索中 )と似た内容ですが。。。

接続詞をなるべく使わない文章を心がけていますが、「逆接の接続詞」は例外的にけっこう使います。

文章を書く行為は極めて主観的、あるいは内省的な営みなので、ともすれば独りよがりの展開になってしまいかねません。書き進めるうちにどんどん悦に入ってきて、我に返ったときには読者を置き去りにしていた、みたいなことに陥ってしまう可能性もなきにしもあらずです。

そうやって書き手の独壇場で筆が進んだ文章は突っ込みどころ満載で、読者の頭の中は「?」のオンパレードになっていきます。

だから書き手は、読者が疑問に思いそうな箇所や反論をさしはさみそうな箇所を想定し、読み手の理解を手助けしていかなければならない。

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読者が「?」と思いやすいのは、たいてい書き手の意見や主張を述べている箇所です。「私はこれこれこう思うのであります」という書き手の主張に対して、「そんなことあれへんやろー」と突っ込みを入れる、みたいな感じです。

そうした読者の「?」を残さず摘んでいくためには、書き手は意見や主張の根拠、背景をていねいに説明しなければなりません。

そのとき、逆接の接続詞で自説を補強するのが効果的だったりするのです。

「私はこれこれこう思うのであります」と述べたあと、読者から「そんなことあれへんやろー」という突っ込みが入ることをあらかじめ想定し、「私のこれこれこういう意見に対して、それそれそういう反論があるでしょう。しかし、私はほれほれほういう理由でこう考えるのであります」といった具合です。

この展開は、あまり多用すると説教じみてうるさいので注意しないといけませんが、読者に寄り添った文章にしたいという書き手の努力が表れた結果だと個人的に思っています。

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むずかしいことは抜きにして、文章を書く際に「逆接の接続詞」を日常的に多く使う人は自分の頭で考えている人、ともいえるんじゃないかと最近思ったりします。

「しかし」や「だけど」という接続詞は、自分の考えがなければ使うタイミングは多くないですから。

話し言葉で「しかし」ばっかり言ってる人は友だちになりたくないですけど(笑)

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※ちなみに接続詞に関する好著はこちら『文章は接続詞で決まる (光文社新書)』。接続詞の役割と効果的な使い方が凝縮した一冊で勉強になります。

あとこんな本『文章が一瞬でロジカルになる接続詞の使い方』も。論理的な文章の書き方について、このページで書いたのと同じようなことが書いてありましたので参考に。

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人間の体も仕事の姿勢も軸が大事

人間の体は数千、数万のバランスによって成り立っていると個人的に思っています。

ひとつ崩れると、その崩れを補うためにほかの箇所が崩れ、その崩れを補うためにまた別の箇所が崩れ……そうやって際限なく崩れ支え合いながら、全体として体の均衡が奇跡的に保たれている。

ある意味で非常に危うい状況です。まるで小さな子どもが積み上げた積み木のように。

うちの4歳の娘は積み木をむちゃくちゃに重ねていくけれど、なぜか崩れずけっこう高くまで積んでしまいます。人間の体も同じやなあと、それを見て思ったりします。

だから軸をつくったジョギングを重視しています。

軸足の接地面から脳天まで軸を通し、トントンと振動を体に加えながら走る。そうすることで、まるで不揃いの積み木が軸に沿って揃っていくようなイメージで体のバランスが整っていく(というイメージを持つ)。ジョギングする際に軸はとても大事です。

仮に軸がずれた状態でジョギングしてしまうと、そのずれた軸に沿って体が再調整されていきかねず、全体として体のバランスが崩れてしまいかねません。

客観視するのはむずかしいですけどね。だからカイロや整形外科で外部の目を入れる。正しい軸が通っているのかを客観的に評価してもらう。主観的な判断だけでは自分の体を見極めるのは不可能です。

軸が大事というのは、体づくりだけでなく、仕事の取り組み姿勢や生き方にも通じるなと最近よく思います。

ぼくの仕事における軸はこれです。

「職業は編集ライター、仕事は一人でも多くの人の役に立つこと、一人でも多くの人に感動や喜び、希望を与えること。」

この軸に沿ったことをやる、ずれたことはやらない。そう意識して仕事に取り組んでいます。

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