【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職

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前回の記事はこちら→『【活動記⑧】ライターにつながる道を模索して印刷会社に入社。ところが……

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大学卒業後に入った印刷会社を退職後、ぼくはどうしたか。中島らも師匠の経歴を思い出し、コピーライターの学校に通うことになります。師匠は印刷会社で働きながら宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていたというのを知り、ならばということで自分も同じ門をたたいたのです。

こう書くとまったく主体性のかけらもありませんが、実際に当時のぼくには主体性のかけらもありませんでした。それでもライターになるという目標だけは見失わずに過ごせたのは、将来ビジョンだけはしっかり描いていたから、かもしれません。

退職後と書きましたが、実際には印刷会社を辞める前からコピーライター養成講座に通わせてもらいました。講座の場所は、大阪本町の靭公園の横のビル。少し早めについた日は靭公園で時間を潰して……このころがいちばん辛かったですね。

陸上を辞めて社会に出たものの、仕事はうまくいかないし、ライターになれるかどうかもわからない。陸上競技は目標を持ち、その目標に向けて努力することができた。でもライターという目標の場合、努力のしかたがわからなかった。あるいは努力をしたつもりでも、まったく方向違いかもしれない。それがわからない……。

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つかみどころのない毎日に漠然とした不安を覚え、それでもなんとか講座は修了。印刷会社は受講中に退職し、パチンコ屋で派遣で働きながら口を糊する日々。

その後は東南アジアを放浪したりもしながら(笑)、ようやく『「どうやってライターになったんですか?」』で書いたように大阪の広告制作プロダクションに拾ってもらいライター生活がスタートすることになります。

広告制作プロダクションでは4年弱働き、コピーの基本を厳しく叩き込まれました。これは自信を持って言えることですが、仮にコピーライターが1000人いたとすると、999人目にコピーが下手くそといえるほどコピーが書けませんでした。指導してくださった先輩や社長は苦労されたはずです。それでもさじを投げることなく、ねばり強く指導していただいたからこそ、いまの自分があります。大変感謝しています。

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広告制作プロダクションを退職後、出版社を傘下に持つ神戸の会社に就職。主に書籍の編集やライターの仕事をするようになりました。将来的に地元にUターンすることを見越して兵庫の会社を探していたこと、また面接時に社長さんがぼくの将来ビジョンを認めてくださったことが入社の決め手となりました。

次の記事はこちら→『【活動記⑩】「君は何で田舎にこだわるんや?」

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