前回の記事はこちら→『【活動記⑦】中島らも師匠に影響を受けてライターを志す』
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「どうやってライターになったらいいんやろか?」
大学時代に就活をした際、ライターのなり方がわからずに広告代理店の面接を受けようとしたものの、すでに代理店の採用活動は終了済み。
次にぼくが目をつけたのは印刷会社でした。
当時、心酔していた中島らも師匠が印刷会社から社会人人生をスタートされていたからです。
「なんで印刷会社なんやろ?」
そう思いながらも資料を調べていると、クリエイティブ部門を持つ印刷会社が多いことに気づきます。そこで数社の会社説明会に参加、京都の印刷会社から内定をいただきました。
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その印刷会社は社員数がたしか700名(当時)ほどで、業界では中堅に位置する会社でした。わりと大きなクリエイティブ部門を持ち、デザイナーやコピーライターも在籍していたのです。
ですが新卒で入ったぼくの所属はクリエイティブ部門ではなく、本社の営業部隊。クリエイティブ関係の採用は中途が多かったんじゃないでしょうか。とにかく師匠と同じ経歴の第一歩を踏み出せたことに胸をなでおろし、社会人としての歩みを始めることになります。
ところが、経緯は省きますが新卒で入ったその印刷会社を2年弱で退職することになりました。理由は、社会と組織に適合できなかった、陸上以外は何をやってもダメだった、ということに尽きます。
当時のぼくは社会人として生きていくにはあまりにも未熟で、自分を保つことができなかった。入社3年以内に辞める新卒が社会問題になって久しいですが、ぼくはその走りといってもいいかもしれません。
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会社に伝えた退職理由は「ライターの道をめざしたい」ということでした。この点において自分の信念はブレていないわけですが、投資をして新卒人材を採用した会社側に立ってみれば「なにあほなこと言うとんねん」ということになります。
にもかかわらず。
にもかかわらずですよ、上司は「高橋君、ライターになりたいんやったら、うちの会社のクリエイティブ部門に異動してコピーライターになったらどうだろう。話をつけてあげるよ」とまで言ってくださった。
にもかかわらず。
にもかかわらずですよ、ぼくは一度辞めると伝えてしまった手前、そのあたたかい上司の配慮もお断りして退職したのです。しかも送別会まで開いてもらって……。ほんとうに恥ずかしい限りです。
こうして振り出しに戻ってしまったぼくは次、どうしたか。
またまた、中島らも師匠と同じ経歴を辿ることになります。
次の記事はこちら→『【活動記⑨】将来的に地元にUターンすることを見越して神戸の会社に就職』