ゴーストライターの役割

著者から話を伺って、聞き書きのスタイルで一冊の書籍を書き上げる仕事をしています。

こういうタイプのライターを世間一般では「ゴーストライター」、このブログでは「書籍ライター」「ブックライター」と呼んでいます。

ゴーストライターをずっとやっていると、聞き書きスタイルで書かれた本をなんとなく見わけられるようになってきました。

ゴーストライターがまとめた書籍の原稿はたしかに読みやすいです。でも反面、内容が薄いことがある。

極端にいうと、たった一文で済む内容を2000文字にまでふくらませているような。

本題に入るまでの導入や例え話がやたら長く、ようやく本題に入ったかと思うと、早くも締めに向かい、「あ、この一文を言いたいための展開だったのね」と納得するという。

***

ぜんぶがそうではありません。

優秀なゴーストライターが書いた本は著者ご本人がまとめるよりも文章的に読みやすいのはもちろん、内容自体も幾度のインタビューを通してアウフヘーベンしているため、濃密で、論旨も通っている。

インタビューの目的は、著者がすでに自覚している考えを引き出す側面と、著者に気づきを得ていただく側面のふたつがあるように思います。

とくに後者が重要で、取材のやりとりを重ねるうちに著者の頭の中で化学反応が起きて、これまで漠然としていた思いを整理してもらったり、新たな考えやアイデアを思いついてもらったりすると、インタビュアーとしては「よっしゃ」と心でガッツポーズすることになります。

そんな有意義な取材を経て書かれた原稿は内容的にも濃くなるように思います。

***

著者自身の手によって書かれた原稿は多少難解な面もあるかもしれないけれど、その一文、その一文字のすべてに背景があります。

これまでの経験が文章に凝縮して乗っかっているから、その一文、その一文字に、すべて物語がある。だから深い。読みにくくても、そういう本に出合うとうれしいです。

一文を2000文字にふくらませるような書き方ではなく、著者自身がこういうことを言いたかったと膝を打つような原稿をもっともっと書けるように、少しずつでも成長していきたいと思います。

書籍の実績はこちら⇒(ゴーストライター 実績

Continue Reading

てんとう虫は神様です

てんとう虫は神様だと思っています。

4歳の娘が保育園のもも組(3歳児クラス)を終了し、進級式が行われた日の夕方。

自宅のリビングで食事中に娘が「てんとう虫!」というので見てみると、テーブルの上にちょこんと乗っていました。

「てんとう虫が進級おめでとうって言いに来てくれたんやわー」

そうやって妻が娘に言っていました。

翌日、妻と娘の手で庭に逃がしてあげていました。

ところが数日後、また同じ模様のてんとう虫がリビングの網戸の内側に張りついています。

ブラックボディに赤い斑点が2つという、ちょっと変わったデザインのてんとう虫だったので嫁さんが覚えていました。「この子、この前の子といっしょちゃう?」と。

なんでまたやって来てくれたのかはわかりませんが、まだ娘におめでとうを言い足りなかったのかもしれません。

***

てんとう虫は神様だと思うようになったきっかけ。

それは父の退職祝いの旅行先でのちょっとしたエピソードです。

50年勤め上げた会社を退職した父のお祝いをかねて、両親と嫁さん、ぼくの4人(まだ娘は生まれていなかった)で四国に旅行に行きました。

その日の夕食のとき。

各自の前に置かれている鍋に火をかけてぐつぐつ煮たってきたとき、父親の鍋からてんとう虫が出てきたんです! 熱くて逃げてきたんでしょう(笑)

そのとき、中学校を卒業した翌日から半世紀にわたり、同じ会社で働き尽くした父に「おつかれさん」と言いに来たんだと、内心思ったわけです。

***

てんとう虫に限らず、神様はときどき、虫などの生き物に姿を変えて様子を見にこられるらしいです。信じるか信じないかは、あなた次第(笑)。宗教うんぬんではなく、ぼくはけっこう信じています。

Continue Reading

取材中に地震警報音。そのとき社長さんは……

ブワッ、ブワッ、ブワッ、ブワッ――

地震の警報音がけたたましく鳴り響いてその場が凍りつく。

次第にビルが左右にゆったりと揺れ始め、徐々に揺れ幅が大きくなっていく。

ぼくも含めた取材班は関西在住で地震警報音に慣れていない。場がざわめくなか、インタビュイーの社長さんは何事もないようにすっと席を立ち、災害用ヘルメットを手に取って「これをかぶってください」と女性取材班の前にそっと置いた。

***

4月1日午前11時40分ごろ、三重県南東沖でマグニチュード6.1の地震がありました。取材場所の大阪市は震度2でしたが、オフィスビルの20階にいたので横揺れがけっこう大きくて動揺しました。

そのなかでも社長さんの対応はとても冷静で、話を聞くと阪神淡路大震災を経験され、東日本大震災時には東京オフィスで被災されたとのこと。

東日本大震災当日は、阪神淡路大震災時の経験を活かして地震直後にスタッフをコンビニに走らせて必要物資を購入し、その日は帰宅を希望する従業員以外の全員でオフィスに泊まったそうです。

***

その会社では、社長さん自身の経験を活かしてBCP(業務継続計画)に積極的に取り組まれています。オフィスのすべてのデスクに従業員の人数分のヘルメットがかけられているほか、水や食料も備蓄されていました。

ただし、かたちだけの災害対策は「そのとき」に指示系統が混乱し、十分に機能しないかもしれません。

企業トップの冷静さが災害対策に不可欠なのではと、取材時の社長さんの対応を見て思ったのでした。

Continue Reading

陸上トレーニングメモ(2016.4.9)

旧ブログ(『走る編集ライタートレーニング日記』)の更新をストップしてからエバーノートで管理していた陸上のトレーニングメモを以降、このブログに記していきます。


 

近所の堤防でトレーニング

・15分ジョギング
・アスリートから見ればダッシュなんて言えない程度の坂道ダッシュ50m×5本
・50m×1本
・100m×2本
・150m×1本

前回、腰痛を抱えながら半ば無理やり走っても、後日、大きな痛みが出なかったので本格的にトレーニングを再開。とはいえ様子を見ながら慎重に。

軽くジョギングしたのち軽く坂道ダッシュ。

そののち、4月末の奈良県ダッシュ王選手権を見据えて50mダッシュをやってみる。前傾姿勢になると腰が痛いので、最初の数歩の駆け上がりができない。だいぶ抑えて走って7秒50。ガーン。軽く走っても7秒前半くらいではいけると思っていたのでショック。でも練習ほとんどしていないので仕方ないねえ。

50mで腰に違和感が出たので距離を伸ばして100mに。50mもそうだけど歩数で距離をはかっているので少し誤差あり(50m、100mとも若干長めに走ってるはず)。

100mは体力不足でダッシュというより、300m走のようにふうふういいながら。タイムは1本目15秒0、2本目14秒7。笑。小学校低学年の速い子にも負けますなー。

最後は150mで締め。20秒は切ろうと意気込んで走り19秒1。いまの段階では上出来です。次回の自分に期待。

***

走って治す、という選択肢。

体を故障するといろいろな治療法があるけれど、ときに、あえて走ることで治りが早くなることを経験上知っている。今回はそれを試していまのところうまくいっている。下手すると症状を悪化させるけど、うまく走れば、走ること自体が治療になる。

以上

Continue Reading

インタビューした人の名刺を前に置いて原稿を書く理由

インタビュー原稿を書く際に必ずやっていることがあります。

それは、インタビューした人の名刺を目線の先に置くこと。

目に入る場所に名刺を置いてその人の存在を感じながらだと、それはそれはいい原稿が書ける、かどうかは分かりませんが、いつの頃からかジンクスのようになってしまいました。

名刺があると単純に便利、という理由もあったりします。たとえば肩書や住所を確認したいとき、サッと名刺を手に取り、パッと確認し、キュッと原稿に反映できます。執筆の手を止めて調べるという煩わしいひと手間が省略されて気分も良いです。

でもまあ、なんというか、名刺を前にして書くと気が引き締まるというか、手を抜けないというか、心を込めて書く安心感を得られるというか、誠意を尽くして仕事ができるような気がしているのも事実。

たぶん、自分が弱いんでしょう。そうでもしないと「よし書くぞ」と自分を鼓舞できないというか。強い人はそんなことをしなくてもしっかりと原稿に向き合えるんでしょうね。

Continue Reading

たいせつなことに気づかない習慣のこわさ

先日、ある場所に出張で訪れました。

現地の空港で入ったレストランで感じた率直な感想。

店員さんがみんな無愛想、というか魚の死んだような目をしている。

不愉快ではなく、残念な気持ち。

たぶん家に帰って家族と過ごす時間、恋人と過ごす時間はふつうのはず。でもレストランで働いているときは目から生気が失われている。

習慣ってこわいなーっと思いました。

その人たちも、プライベートで食事に行って店員さんがみんな無愛想だったら違和感を持つはず。でも自分がそうなっているのは気づかない。

***

こういう場面に遭遇すると、いつも自分に置き換えて考えてしまいます。自分は気づかないだけで、人を不愉快にさせていないかなって。

田舎に帰省したとき、「なんでこんなにやる気ない?」「家庭の夫婦喧嘩を持ち込んでいる?」と思わずにはいられないような店員さんがどうも多いように、残念ながら感じてしまいました。

田舎という人の目に触れにくい場所に住んでいることで、知らず知らず、自分もそうなってしまうのがこわいので、人の振り見て我が振り……というのは以前より意識するようになりました。

***

魚の目をしている店員さんもいい人のはず。

ぼくが面白い人間なら、帰り際にジョークでも飛ばして笑わせることができるのかもしれません。それができないぼくにできることは、出されたご飯をちゃんと完食することだとなぜか思い、その空港のレストランでちゃんぽんの汁までぜんぶ飲んだのでした。ちゃんちゃん。

Continue Reading

「はかなさ」の奥にあるもの

「桜ってなんできれいなんやろ」

嫁さんとそんな話になりました。

「そら、はかないからやろ」

「なんではかない?」

「そら、すぐ散ってまうからやろ」

「でもすぐ散る花ってほかにもあるよね」

「せやなあ……」

ここでふたり、立ち止まりました。

立ち止まり、考え、

「桜にはたくさんの思い出が付着しているからとちがうやろか」

というような漠然とした結論に至りました。

4月は出会いと別れ、期待と不安、入り混じった季節……なんてありきたりなことはいいません。

みなそれぞれ桜に思い出がある。

いや、桜を見るとなんとなく立ち上がってくる感情がある。

その思い出、感情にもう少しひたりたいのに、願いむなしくすぐ散っていくのが、なんとなく寂しいのかも、と思ったりして。

思い出がはかなさを生み出しているのなら、年齢を重ねるほどに桜は美しくなっていく。

年をとるのもいいもんだ。

Continue Reading

陸上トレーニングメモ(2016.4.3)

旧ブログ(『走る編集ライタートレーニング日記』)の更新をストップしてからエバーノートで管理していた陸上のトレーニングメモを以降、このブログに記していきます。


 

近所の堤防でランニング

・15分ジョギング
・坂道ダッシュ30m×5本
・150m×3本

ことしに入って腰を痛めてまともに走れないなか、軽くジョギングしたのち、おそるおそる坂ダッシュをやってみる。ジョグより少しスピードを上げた程度で様子見。意外と走れるので2本目はもう少しスピードアップ。腰が痛い。しかし走れなくもない。「まあええか、痛めても」という境地に達し、もう少しスピードを上げると痛いながらも走れた。

調子に乗って150mを走ってみる。エバーノートの記録を見ると、昨年の11月21日以来、まともに走っていない。ので慎重に走ってみるが、腰痛よりしんどさが勝って意外と走れる。あとの2本は少しペースを上げて。2本とも20秒程度。これがいまの限界。

腰痛はカイロに2度ほど通って少しましになったものの、以降も一進一退。たまに足先のしびれが出る。整骨院でレントゲンをとる予定。最近、ある箇所の背骨が突き出てきて床に寝転ぶと痛い。変形性脊椎症の疑いもあるかもしれない。

以上

Continue Reading

日本人こそ「法螺に手足を。」

故・桂米朝師匠の落語が好きで車でたまに聴いています。

なかでもお気に入りは「天狗裁き」。

妻が旦那の(見てもしない)夢を聞き出そうとして夫婦喧嘩に発展し、その喧嘩の仲裁に入ったひとも次々その旦那に夢を聞かせろと脅かし、最終的に天狗が旦那を裁こうとしてしまうまでの顛末をそれはそれは面白おかしく語り上げます。車なので音声のみで聴いていますが、登場人物の表情までもが浮かんできそうなほどの迫真の語りです。

その米朝師匠の天狗裁き。本題に入る前の枕で、江戸時代の小噺が紹介されています。要約すると次のとおり。

夢を見た。どんな夢? なすびの夢を見た。それは大きななすびやった。どれくらいの大きさや? この家ぐらいあったんか? そんなもんやない。そやなあ、ものにたとえたら「暗闇にへた付けたような……」

暗闇という無限のサイズ感を利用したたとえ噺で、聞いた瞬間に錯覚を覚えるような独特の広がりがなんか斬新です。本題とはちがいますが、毎回聴き入ってしまう好きな箇所です。

***

きょうも仕事終わりに車で帰宅中、天狗裁きのなすびの噺の箇所を聴いていたとき、糸井重里さんの次のコピーをふと連想しました。

夢に手足を。

夢が自分で勝手に歩いていくイメージが浮かんできて面白いです。夢となすび、無限のサイズ感という点でなんとなく共通点があるといえなくもない(?)と思ったり。広告のキャッチコピーは好きじゃないけど、やっぱり超一流のひとが考えることばは違います。

***

きょうはエイプリルフール。

各社ホームページで趣向を凝らした〝嘘〟をついていて、何社かの遊び心を楽しみました(たとえばタカラトミーとか)。嘘も方便というように、場合によってはその嘘が人の気持ちを和ませたりすることもあるんですね。

嘘まではいかなくとも、ときに法螺は必要といわれます。

ぼくもそうですが、日本人は法螺を吹くのが苦手みたいです。日本人は10できることでも7しかできないと謙遜する一方、外国人は7しかできなくても12できると大風呂敷を広げる、みたいな。

ぼくも含めた日本人、法螺に手足をくっつけるくらいがちょうどいいかもしれません。自分の法螺が勝手に歩いていって収拾がつかなくなり、それをやらざるを得ない状況になって努力し、振り返ってみるとそれがきっかけで成長していました、みたいな。

……というようなことを、天狗裁きから連想した4月1日でした。

Continue Reading

家に風を通すように、仕事に風を通す

昨夜、風呂あがりのストレッチ中にテレビをつけると、アグネス・チャンが1年間放置していた旧自宅を見に行く企画をやっていました。

邸宅のような立派な家でしたが、外壁が薄気味悪く変色しているだけでなく、家の中にはカビが発生し、茶色い雨漏りのシミがクロスに垂れているという、ちょっとしたホラーな感じに仕上がっていました。

1年って長いようですが、でもたった1年なんですね。1年住んでいないだけで、朽ち果て感が漂ってしまう。

住宅の専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、「風を入れていないから」じゃないかなあと思いました。

仮に人が住んでいても、風が入っていない家はなんとなくわかりますね。空気がよどみ、何かいそうな雰囲気が漂っている。

だからぼくは、自宅に風をなるべく通します。花粉やPM2.5が入り込む時期もありますが、それでもなるべく家に風をとり込むようにしています。まあ、たいそうに書かなくても当たり前のことですが……。

***

家だけでなく。

仕事に風を通すのも大事な気がします。

うまく言えませんが、どんより湿った気持ちで惰性でやるのではなく、常に感謝の気持ちを「気」として流し、その気の流れに乗って仕事に取り組むというか。こころを動かし、波動を高めて仕事に取り組むというか。

気の流れの良い場所ってなんとなくわかります。むかし、京都と大阪をむすぶ京阪電車「伏見桃山駅」を下車してすぐの伏見大手筋商店街に行った際、「良い気が流れているなあ」と直感したのをふと思い出しました。

そんな気の流れの良い商店街のような人間になりたいし、良い気の流れのなかで仕事に取り組める人間でありたいし、良い気の流れを感じてもらえるような仕事を手がけていきたいなあ、と、アグネス・チャンの自宅を見ながら思ったのでした。

Continue Reading