中国の詩人で歐陽脩(おうようしゅう)という人は、アイデアが閃く場所として「馬上(ばじょう)」「枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)」の三つをあげました。馬上は、現在でいえば車や電車などで移動中に置き換えられますね。枕上は文字どおり枕元、厠上はトイレです。
この三つを三上(さんじょう)といい、リラックスした環境に身を置いた際に心が開放されてアイデアが舞い降りてくる、そんな感じの意味のようです。
コピーライター時代の大先輩はコピーや企画を考えている最中、行き詰ると「トイレ行ってくるわ」と席を立ち、戻ってきたときには「こんなんどうやろか」と極上のコピーや企画ができ上がっているような人でした。そのたびに驚いていたのを思い出します。
閃きってただ待っているだけで訪れるものではなくて、情報を頭に詰め込んで練るに練ったあげく、「もう無理」とパンク寸前になっていったんその思考から離れたのち、ふとリラックスした瞬間におりてくるように思います。神様のご褒美のように。まさに『アイデアのつくり方』ですね。
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ぼくの場合の〝三上〟は「風呂」です。
たとえば原稿がどうしても書けないとき、いったん打ち切って風呂に入ると、冒頭の一文からの展開が流れるように思い浮かぶことがけっこうあります。まるでバックラッシュして複雑に絡まったベイトリールの糸がスルスルとほどけていくように。
おそらくこんがらがった頭が風呂で解きほぐされて情報が整理され、本筋が浮かび上がってくるのだと思います。そうやってつかんだ本筋はシンプルだったりします。
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問題は、風呂の中ではメモれないこと。だから思い浮かんだあとは牛のように何度も反芻し、反芻しては口に出してつぶやき、つぶやいては内容を咀嚼して忘れないでおこうと努力します。
かんたんなひと言だったら覚えやすいけれど、原稿の展開だったりすると忘れかねません。風呂から飛び出してメモ用紙に殴り書きし、安心して風呂に入り直す、そんな経験数知れず。
風呂でもメモできるようにしようかと考えたこともあるけれど、メモできる環境になったとたん、風呂が仕事場になってしまうというか、構えてしまって閃きがおりてこなくなるような気がするんですね。
だから風呂は風呂のままでいいんです。ただの風呂だから三上なんです。
さあ、風呂入ろ~