前回の記事はこちら→『(活動記④)田舎暮らしはバイオリズムが整う?』
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阪急電車で大阪の梅田駅まで15分。兵庫県尼崎市という、ライター活動を続けるうえではたいへん恵まれた場所に住んでいたのに、なぜ田舎の兵庫県加東市にUターンしたのか。
きっかけは高校時代にさかのぼります。
その日はたしか土曜日だったように思います。
土曜日の授業は午前中で終わり、午後は部活動(陸上部)の練習に明け暮れていました。
部活動は夕方に終了し、その後は自転車で15分ほどかけて自宅に帰ります。それから晩御飯までのあいだ、おやつを食べながらテレビをぼけーっと眺めるのが習慣になっていました。
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その土曜日の帰宅後も、部活動でカラダを酷使した心地よい疲労感に包まれながらテレビを見るともなく見ていました。
するとある光景が目に飛び込んできたんです。
当時、アメリカで流行していたワークスタイルを取り上げた番組で、あるアメリカ人一家の日常が紹介されていました。
緑あふれる郊外の自宅で仕事をする父親の姿。まるでディズニーの英語システム(わかる人にはわかるはず、笑)に登場するようなダンディーなパパが、おしゃれな部屋でカッコよく仕事をしています。
そのパパと同じ部屋では可愛らしい子どもがはしゃぎ回り、となりのキッチンでは美人のママが料理をつくっていました。
サラリーマン家庭に育ったぼくにとって、父親が自宅で働いている姿はじつに新鮮でした。同時にホワイトカラーの職業でありながら、職住一体の生活が当然のように成り立っている家族の在り方に憧れを抱いたのを覚えています。
そうしたワークスタイルは「SOHO(Small Office/Home Office)」と呼ばれ、当時のアメリカではすでに主流になっていると知りました。
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その番組を観終わったとき、
「おれも将来はこうやって働きたい」
とごく自然に思いました。
その思いは、アメリカ人家族の暮らしの映像とセットで脳裏に刻みこまれ、潜在意識にも強烈にインプットされました。その瞬間、人生とかかわる何らかの遺伝子のスイッチがパチンと音を立てて「オン」に切り替わったはずです。
以来、約20年間。
そのとき目にしたテレビの光景、「おれも将来はこうやって働きたい」という思いを心の片隅に抱きながら、キャリアを積み重ねてきました。
いくら遠くても的(まと)を定めると、矢はそこに向かって飛ぼうとするものです。
ぼくの人生も同じで、
将来は田舎の自宅で家族とともに好きな仕事をして暮らす――。
そんなライフプランを実現する方向に矢が進んでいったのです。
次回の記事はこちら→『【活動記⑥】高校生時代に決めたビジョンが進路選択の決め手に』