フラクタル理論―人間は地球であり、地球は人間である?

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フリーライターに転身して1、2年経ったころに担当した書籍の著者から、「フラクタル理論」を教わりました。

フラクタル理論を自分なりに噛み砕くと、「部分は全体であり、全体は部分である」ということ。

たとえば立ち木は軸となる太い幹から枝が広がり、その枝からさらに細い枝が分派し、先端に葉を茂らせています。

その立ち木から太い枝を一本伐りとっても、太い枝からさらに細い枝を一本伐りとっても、それらの枝のかたちは立ち木全体の姿と相似形を成しています。

一枚の葉っぱも同様です。樹枝状に張り巡らされている葉脈の構造を見ると、やはり立ち木全体の姿と相似形となっている。

このように、ある図形がどこまで分割されてもその小さな「部分」に「全体」と同様のかたちが現れる理論を「フラクタル(自己相似形)」と呼びます。

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「部分は全体であり、全体は部分である」――。

このフラクタル理論は「人間」と「地球」にもあてはまると独自解釈しています。

人間の体重に占める約7割は水分であり、地球の表面積に占める約7割は海。ともに「水」が7割というのは、重量と面積の違いはあるにしても、なにか意味があるように感じるのはぼくだけでしょうか。

これをフラクタル理論に強引にあてはめると、

「人間は地球であり、地球は人間である」

といえるんじゃないかと思うのです。

ゴミをポイ捨てすると地球が汚れますが、ぼくが拡大解釈しているフラクタル理論でいえば「地球の汚れは人間の汚れとイコール」。つまりポイ捨ては、まわりまわって自分のカラダを汚すことになるわけです。

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このフラクタル理論の考えを持てば、「人間と宇宙」、「自分と他人」、「有権者と政治家」、「労働者と雇用者」など、あらゆる場面で全体の視点を持てるようになります。

たとえば「自分は他人であり、他人は自分である」と思うことができれば、「自分さえよければいい」という利己的な考えを律することができそうです。同時に、自分を差し置いて他人のことばかり優先する生き方もちょっと違うなと思えたり。

あるいは「有権者は政治家であり、政治家は有権者である」と思うことができれば、一方的に政治家を責めたてるのではなく、その政治家を選んだ有権者も含めた全体の視点で政治を俯瞰できそうです。

「一事が万事」もまさにそうです。

「一事は万事であり、万事は一事である」

そう捉えればこそ、一事を大事に日々の生活を送れるような気がします。

関連記事はこちら→『小さなことで「あれ?」と思う人は、あらゆる局面で「あれ?」が積み重なっていく

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