「逆説の接続詞」をよく使う人は自分の頭で考えている?

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これ(文章の展開がパターン化しない接続詞の使い方、いまだ模索中 )と似た内容ですが。。。

接続詞をなるべく使わない文章を心がけていますが、「逆接の接続詞」は例外的にけっこう使います。

文章を書く行為は極めて主観的、あるいは内省的な営みなので、ともすれば独りよがりの展開になってしまいかねません。書き進めるうちにどんどん悦に入ってきて、我に返ったときには読者を置き去りにしていた、みたいなことに陥ってしまう可能性もなきにしもあらずです。

そうやって書き手の独壇場で筆が進んだ文章は突っ込みどころ満載で、読者の頭の中は「?」のオンパレードになっていきます。

だから書き手は、読者が疑問に思いそうな箇所や反論をさしはさみそうな箇所を想定し、読み手の理解を手助けしていかなければならない。

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読者が「?」と思いやすいのは、たいてい書き手の意見や主張を述べている箇所です。「私はこれこれこう思うのであります」という書き手の主張に対して、「そんなことあれへんやろー」と突っ込みを入れる、みたいな感じです。

そうした読者の「?」を残さず摘んでいくためには、書き手は意見や主張の根拠、背景をていねいに説明しなければなりません。

そのとき、逆接の接続詞で自説を補強するのが効果的だったりするのです。

「私はこれこれこう思うのであります」と述べたあと、読者から「そんなことあれへんやろー」という突っ込みが入ることをあらかじめ想定し、「私のこれこれこういう意見に対して、それそれそういう反論があるでしょう。しかし、私はほれほれほういう理由でこう考えるのであります」といった具合です。

この展開は、あまり多用すると説教じみてうるさいので注意しないといけませんが、読者に寄り添った文章にしたいという書き手の努力が表れた結果だと個人的に思っています。

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むずかしいことは抜きにして、文章を書く際に「逆接の接続詞」を日常的に多く使う人は自分の頭で考えている人、ともいえるんじゃないかと最近思ったりします。

「しかし」や「だけど」という接続詞は、自分の考えがなければ使うタイミングは多くないですから。

話し言葉で「しかし」ばっかり言ってる人は友だちになりたくないですけど(笑)

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※ちなみに接続詞に関する好著はこちら『文章は接続詞で決まる (光文社新書)』。接続詞の役割と効果的な使い方が凝縮した一冊で勉強になります。

あとこんな本『文章が一瞬でロジカルになる接続詞の使い方』も。論理的な文章の書き方について、このページで書いたのと同じようなことが書いてありましたので参考に。

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