自ら仕事を生み出すしくみを持っていないフリーライターの場合、発注者から依頼された仕事を請け負って口を糊しています。
このフリーライターの立場を強引に流しそうめんに例えると、下流で割り箸を広げ、そうめんをいまかいまかと待ち構えている人という感じになるでしょうか。
例えの良し悪しはともかく。
仕事の流れという意味では、フリーライターは下流の立場で立ち回ることが少なくありません。だからでしょうか、上流の人たちのそうめんの流し方が気になるときがあります。
下流の立場の人間がそうめんをすくいやすくなるよう、気を遣ってもらっているのがわかる人がいれば、下流などお構いなしにそうめんをかき乱す人がいたり。
あるいは下流まで下りてきて一緒に食べてくれる人がいれば、上流からそうめんの本数を無理やり指定するようなタイプの人がいたり。
幸い、ぼくが仕事をご一緒しているクライアントの方々は、そうめんを一緒に食べてくれる人がほんと多い。建前で言っているのではなく事実です。
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ですが、そうめんの流し方が気になる人が過去にいたことはありました。
仕事のやりとりに置き換えると、たとえば電話やメールで「追って連絡します」と言ったものの、そのままなしのつぶてだったり。
些細なことかもしれません。相手の反応を待つのではなく、自分から連絡すれば済む話だったりします。
ですが、小さなことで「あれ?」と思う方は、そのほかのあらゆる局面でも「あれ?」が積み重なっていくように思います。
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どちらの足から靴を履くのか意識している人はおそらくいないように、習慣は一挙手一投足を支配しています。
習慣とは、自らの思考や行動を無意識の領域に一任するようなもので、自動車でいうと自動運転ととらえられるかもしれません。
たしかに効率的ですが、悪い習慣が身についてしまうと厄介なことになります。自動運転のプログラムが間違っていると大変なように。
仮に、小さな約束を守らないことが習慣になってしまうと、本人も意識しないうちに、相手に対して失礼な言説を繰り返してしまう可能性が高まるように思います。
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ぼくがクライアントさんの対応に気づくときがあるように、クライアントさんもぼくの一挙手一投足をつぶさにチェックされています。
自分自身も見られていることを忘れないように。
小事は大事、一事が万事を習慣化できるように。
自分自身の戒めのために意識していることです。
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