「もの」の価値はどうやって決まるのでしょうか。
たとえば骨董の場合、価値を決める指標のひとつは「時代」だそうです。鎌倉時代に生まれた信楽焼きは、鎌倉時代のものがいちばん価値が高くなる、というふうに。
あと骨董は「一点もの」だから、それをほしいと希う人が多いほど価値も上がっていくという性質があります。
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雑誌『BRUTUS』で、コピーライターの仲畑貴志さんが骨董の魅力について語られている言葉が、なんとも含蓄に富んでいます。
買った壺と一緒に風呂に入ったりするやつもいるからね。相当イカレてると思うけれども、その気持ちもわからなくはないね。とにかく、いいと思ったら何も関係ない。脅迫してくるんだよね、ものが。どう脅迫してくるかっていうと、「オンリーワン」っていうこと。
室町や平安時代の壺を見て「いい壺」だなって思ったとき同じやつはもうないわけでしょ。
それを買わなければ二度と手に入らない、というのがいちばん大きいところだね。骨董というのはそういう「毒」を持っていて、日常性を超えさせる。
古の時代につくられたという「浪漫」、世界にひとつだけしかないという「毒」。
このふたつが骨董マニアの蒐集の血をかき立てるわけです。
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翻って「本」はどうでしょう。
貴重な初版本は高値をつけることはあります。そういう意味では本も骨董のひとつに数えられるかもしれない。
ですがたくさんの人が読みたい本は増刷を繰り返し、わたしたちの手元に届けられるしくみがあります。
この本のしくみがすごいのは、読みたい人がいくら増えても値段は変わらないところ。「読者が多い=価値が高い」ということですが、骨董とは違って「価値が高まる=値段が上がる」とはならないんです。
なぜそんなことが可能なんでしょう。
読者が少額を出資することで成り立っている「共同購入」のしくみと、需要に応じて「増刷」できるしくみが機能しているからです。
このしくみの背景には、本の価値は「もの」それ自体ではなく「情報」にあるという、価値の本質が隠されています。
本の本質的な価値は「もの」ではなく「情報」だからこそ、「一点もの」を競い合わずにみんなが同じものを平等に得ることができ、結果として、何万部や何十万部、あるいは百万部以上の増刷が可能となるわけです。
当たり前だと思いますか?
その当たり前のなかに、価値は潜んでいるんですね。
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