企業出版の本づくりに携わる醍醐味。

企業出版として出される書籍の執筆をはじめて10年ほどになりました。

企業出版とは、著者となる社長さんや企業自体が出版費用を負担してつくる出版形態のことです。

商業出版と企業出版の違いのひとつは出版フィーをどちらが負担するかということですが、執筆を請け負うライターとしてのいちばんの違いは「出版社主導の企画内容か」「著者主導の企画内容か」という点です。

商業出版は、基本的には出版社が世に問いたい内容を企画して著者に執筆を依頼します(著者持ち込み企画の場合は別です)。それに対して企業出版は、著者が世に問いたい内容を出版社に持ち込んで制作を依頼します。

企業出版として出される書籍の執筆を請け負う場合、ライターは著者が世に問いたい内容をヒアリングし、その内容をもとに企画構成して文章に落とし込んでいきます。

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ここに落とし穴があります。

それは、著者が世に問いたい内容は、世の中の人がほんとうに知りたい内容なのかということ。

著者の伝えたい内容と読者の知りたい内容にミスマッチが生じていた場合、本の出版は著者の自己満足に陥ってしまうリスクがあり、読まれない本として市場に出てしまう可能性がある。

だから、ぼくのような書籍ライターは、著者、出版社の編集者と3者で「あーでもないこーでもない」と喧々諤々、著者が世に訴えたい内容と読者が知りたい内容をすり合わせていくクリエイティブな作業を続けることになります。

企業出版の書籍づくりが成功するかどうかは、この「あーでもないこーでもない」作業がうまくいくかどうかにかかっているといっても過言ではありません。

著者、編集者、ライターの3者が信頼関係で結ばれているからこそ、この調整作業はうまく運んでこれ以上ないという落としどころが見つかることが多いです。

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こうやって3人4脚で企画構成を練りに練ったうえ、取材に入り、執筆を始めるのが書籍ライターとしての理想のプロセスです。

その企画構成にいたった紆余曲折をみんなで共有している。その企画構成で進めようという企画決定までのプロセスをみんなで共有している。

そうやって3者が企画構成について共通認識をもっておくことで、書籍ライターは自信をもって執筆に入れます。各方面への不必要な配慮といった雑念もなく、純粋に「いい原稿にしあげよう!」とおのずと筆に力が入ります。

さらに企画構成をみんなで共有しているから、書籍ライターは1本筋のとおったブレのない原稿を書きやすくなります。

そうやって書かれた原稿は著者にとっても自分の思いとズレがすくなく、編集者にとっても修正がすくない「よい原稿」になりやすいです。

そんなプロセスを経てつくれた本には、信頼関係で結ばれた3者の思いがぎゅーっと詰まっているから、読者にとっても読みごたえがある「よい本」になってくれる可能性が高いです。

そんな企業出版に携われるのが、書籍ライターとしてのいちばんの醍醐味です。

企業出版に関するお問い合わせはこちら

関連ページ:企業出版をお考えの経営者の方々へ

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手がけた書籍を初めて手にしたときの喜び。

何も買った覚えがないのに宅配便が来た時は、「あ、完成したんかな?」とちょっと嬉しくなります。できたてほやほやの書籍のことです。

手がけた書籍を出版社の編集者さんに送ってもらい、それを手に取る瞬間が好きです。まだ書店に並ぶ前の本。きょうも1冊送られてきました。多くの読者に届きますように。

8月に出版された尊敬する先生の書籍がすでに3刷目で、まだまだ反響があるようです。制作に携わらせていただいた者として本当に嬉しいです。多くの読者に届きますように。

いま進めている2冊の書籍も一冊入魂で頑張ろう。

※facebookからの転載

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友人の活躍を刺激に

保育園から帰ってきた娘を囲み、嫁さんと3人で夕方におやつタイムをしているとき、友人から電話がかかってきた。

「まいど。きょうは家で仕事?」

「せやで」

「娘が〇〇ちゃん(うちの娘)に会いたいって言うてるから、いまから少しだけ家、訪ねてもええかな」

こんな感じで友人は子ども2人を連れて我が家にやってきた。

友人の上の娘は、うちの娘と同じ4歳。これまで2度会って遊んだことがあり、うちの娘のことを覚えていてくれたのだ。

再会して一瞬だけ照れていたけれど、すぐ打ち解けて遊び出す子どもたち。

友人はことし福祉施設をオープンし、いま2店舗目の立ち上げ準備に奔走している。

雇われる身から雇う側へと転身し、事業所を軌道に乗せるまでの生みの苦しみを味わっているのか、友人は体重が激減してかつての容姿は見る影もない。

「とにかく10キロほど太ってくれ。見慣れん」

そんな冗談を言いながらも、地域のために骨身を惜しまず仕事に向かう友人を誇らしく思う。

と同時に、

(おれもがんばらねば)

と、気持ちを新たにする。

子どもがとりもった友人とのちょっとした再会に感謝。

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変化の年、バネを溜め、新たな一手を。

ことしは変化の年と位置づけています。

と同時に、踊り場ですこし足踏みするよう自分を手なずけてもいる。

2008年1月1日にフリーランスのライターとして独立して以来、休まず階段を駆け上がり続けてきました。

アゴがあがり、息はきれ、バネは伸び切り、次の一歩を踏み出す気力も余裕もない。

そんな状態が続き、「これはあかん」といったん止まってしゃがみこむことにしました。

陸上競技には「溜まりバネ」ということばがあります。

ケガなどで練習を長く休むと体が超回復し、本番で高いパフォーマンスを発揮できるような状態をさします。

いまはケガをしているわけではないけれど、階段の踊り場で力を蓄え、次の一歩に備えようと思う。

2016年、後半に入りました。

変化の年として、書籍ライターとしての新しい道を拓く事業を始める予定です。

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「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」

詩のことはよくわからないけど、安西冬衛のこの詩は折りに触れて思い出す

一匹の蝶が波にうねる大海原の上をひらひらと飛んでいく。

その情景を思い浮かべると言いようのない悲しみが胸を衝く。

そしてああ自分もこの蝶のような存在だなと、思う。

フリーランスは、何の拠り所もなく大海原を飛ぶ蝶と同じ。

力尽きると落ちるだけ。

だれも助けてくれない。

しかし、景色は広いんだ。

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ぼくが広告のキャッチコピーが嫌いな理由(2)

最近、思う。

「思う」がつくキャッチコピーが多くないかと。

文末を「思う」で締めくくれば、なんとなくキャッチコピーっぽくなるからつけとけ、みたいな。

たとえばこんなコピー。

◎日本の時計は美しいと思う。
ぜんぜん思わんでいいと思う。実際に美しいんだから。「日本の時計は美しい。」と言い切ってくれたらどれだけ気持ちいいか。

◎日常でたまった疲れは、日常でとれないと思う。
わざわざ思わなくても、「日常でたまった疲れは、日常でとれない。」ではなぜだめなのか。なぜストレートに言ってくれないのか。

コピーライターの川上徹也さんは著書『こだわりバカ (角川新書)』で、「空気のように何の効果もないようなフレーズ」のことを「空気コピー」と揶揄されている。「思うコピー」の多くも「空気コピー」だったりして??

◎ブラで女の一日はけっこう変わると思う。
お、おう。。ぼくは知らんけど、そう思うならそうなんでしょう。でも、なぜ「変わる。」で締めてはいけないのか。「けっこう」をつけているんだから、断定を避ける目的の「思う。」はいらないはず。

◎日本人の味覚は世界一繊細だと思う。
ぼくが「思うコピー」に違和感を覚えるきっかけになったコピー。お茶のCM。全体的に味のあるCMなので、ある意味で「思う。」という語感がCMの雰囲気をやわらかく包み込んでいい感じになっているかもしれない。

だけど、仮に「日本人の味覚は世界一繊細です。」としてしまうとコピーになりませんね。ということは、コピーにならない一文を「思う。」という文末表現でごまかしているのか。まあ広告規制にひっかかるのかもしれないけど、なんかもやもやしてしまう。

コピーライター時代に気の利いたコピーが一本も書けなかった元コピーライターは思うのであります。

◎賃貸住宅を変えるのは、木だと思う。
これも最近気になった一本。そもそも、だれが思ってるの? 「賃貸住宅を変えるのは木です。」と言い切ったらふつうの一文になってしまうしちょっと意味もわからないし、広告文はむずかしいですね。

◎言えないことの方が多いから、 人は書くのだと思う。
ほんとそうだと思う。ラブレターもそうですね。でも、このキャッチコピー、上のコピーと同様、だれが思ってる? 「思うコピー」全般にいえることだけど、雰囲気に乗せられて「そう思わされている感」があるのがきもちわるい。

ちなみに、これと同じようなコピーで好きなのはコレ↓

◎言えないから、歌が生まれた。
ミスチルの『君が好き』のキャッチコピー。いいなあ! こんなコピーを一度でもいいから書いてみたいなあ!

◎老いてゆく姿を孫に見せること。それも教育だと思う。
どれもこれもたしかにそうなんです。でも、しつこいけどなぜ「思う」のか。このコピーも同様、「老いてゆく姿を孫に見せること。それも教育です。」としてしまうとコピーにならない。文章の座りがわるいというか。じゃあ文末表現の「思う。」は、座りを良くするためだけのものなのか。

◎昼寝の姿を子どもに見せること。それも教育だと思う。
いま考えました(笑)。こんなアホみたいなコピーすらも、下手すれば広告になってしまいそうな盲目的な感じが広告にはありますね。

一方。

こんな「思うコピー」もあります。

◎年賀状は、贈り物だと思う。

ん?

なぜか「思う。」が気になりにくい。「空気コピー」との違いはなんだろうか。消費者が漠然と思っていること、期待していることをあたたかく、絶妙に言語化してくれているからかもしれない。

このコピーは誰が書いたんだろうと調べると、岩崎俊一さんだった。仲畑貴志さんと並んでぼくが好きなコピーライターの二大巨頭。岩崎さんは2014年に亡くなっていたと知りショックを受ける。

そして次のコピー。

◎私がきれいになることも、親を幸せにすることだと思った 。

これはいい!

結婚式のコピー。なんでいいのかなと考えると、主体があるからかも。「私」という主体があるからこそ、親を思う娘の思いをその一文から感じられるからこそ、読み手は主人公である「私」に共感できるのかもしれない。

反対に、「思う。」の主人公が不在の場合、読み手は無意識にその主体は広告主だと理解し、「思わされている」「誘導されている」と無意識に感じて共感できないのかも。

ちなみに、このコピーを書いた方を調べると、『大人たばこ養成講座』シリーズを担当された岡本欣也さんでした。この方も僕が好きなコピーライターのお一人で、なんと岩崎俊一事務所で活躍されていた方!

前述の「年賀状は、贈り物だと思う。」というコピーの広告主である日本郵政の仕事を、岡本さんは岩崎俊一さんと共に手がけられていたと。やっぱり好きなコピーを書く人はこうやってつながっていくなあ。

番外編

◎一流は勝てると思い。二流は勝ちたいと思う。
これもいいなあ。スポーツ選手の心理を言い当てている。そもそも何のコピーやろ。

まとめ

すっきりとした解決には至っていませんが、文末が「思う。」のキャッチコピーの良し悪しは、その一文に主体があるかどうか。だれが思っているのかというその存在がはっきりしていれば、コピーにストーリーが宿る。結果、消費者はその主人公に共感でき、コピー自体に意味と価値が生まれるのでは、と「思う。」

関連ページ:ぼくが広告のキャッチコピーが嫌いな理由。

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アイデアが閃く三つの場所。ぼくの場合は……

中国の詩人で歐陽脩(おうようしゅう)という人は、アイデアが閃く場所として「馬上(ばじょう)」「枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)」の三つをあげました。馬上は、現在でいえば車や電車などで移動中に置き換えられますね。枕上は文字どおり枕元、厠上はトイレです。

この三つを三上(さんじょう)といい、リラックスした環境に身を置いた際に心が開放されてアイデアが舞い降りてくる、そんな感じの意味のようです。

コピーライター時代の大先輩はコピーや企画を考えている最中、行き詰ると「トイレ行ってくるわ」と席を立ち、戻ってきたときには「こんなんどうやろか」と極上のコピーや企画ができ上がっているような人でした。そのたびに驚いていたのを思い出します。

閃きってただ待っているだけで訪れるものではなくて、情報を頭に詰め込んで練るに練ったあげく、「もう無理」とパンク寸前になっていったんその思考から離れたのち、ふとリラックスした瞬間におりてくるように思います。神様のご褒美のように。まさに『アイデアのつくり方』ですね。

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ぼくの場合の〝三上〟は「風呂」です。

たとえば原稿がどうしても書けないとき、いったん打ち切って風呂に入ると、冒頭の一文からの展開が流れるように思い浮かぶことがけっこうあります。まるでバックラッシュして複雑に絡まったベイトリールの糸がスルスルとほどけていくように。

おそらくこんがらがった頭が風呂で解きほぐされて情報が整理され、本筋が浮かび上がってくるのだと思います。そうやってつかんだ本筋はシンプルだったりします。

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問題は、風呂の中ではメモれないこと。だから思い浮かんだあとは牛のように何度も反芻し、反芻しては口に出してつぶやき、つぶやいては内容を咀嚼して忘れないでおこうと努力します。

かんたんなひと言だったら覚えやすいけれど、原稿の展開だったりすると忘れかねません。風呂から飛び出してメモ用紙に殴り書きし、安心して風呂に入り直す、そんな経験数知れず。

風呂でもメモできるようにしようかと考えたこともあるけれど、メモできる環境になったとたん、風呂が仕事場になってしまうというか、構えてしまって閃きがおりてこなくなるような気がするんですね。

だから風呂は風呂のままでいいんです。ただの風呂だから三上なんです。

さあ、風呂入ろ~

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脇汗を食い止めてくれる強者はいないか。

ぼくは脇汗を大量にかく。一時期、NHKの有働アナウンサーの脇汗が話題になったが、あんなものは蚊の放屁ほどの威力もない。

緊張を強いられる場面、具体的には取材時の汗の量がひどい。目にも鮮やかなブルーのシャツなんて完全にNG。脇の下付近にシミができるという状況を大きく超え、水浸しレベルの騒ぎになる。シャツだけでなく、その上のジャケットも水浸しだから、色にはこだわり抜く。

シャツはできる限り薄い色、とくに水色系統が良い。ジャケットは濃いグレーが無難。黒だと逆に目立つケースもあるから注意が必要だ。

ブルーやグレー、ピンクのシャツをおしゃれに着こなすビジネスパーソンがうらやましい。そんな爽やかさに憧れてそういう色を買ってみたこともあるけれど、一度着て後悔し、もう二度と着るものか、と脱ぎ捨てた経験数限りなく。

ただし、生地によっては大丈夫なケースもある。口で説明するのは難しいけれど、脇汗が目立たない種類の生地は確実に存在する。シャツでいえば、一例は細かなメッシュタイプの生地。ジャケットでいえば若干毛羽立ったタイプの生地。

数々の失敗を経験しながら生地を見極める目を養ってきたので、いまでは比較的高い確率で汗の目立たないシャツやジャケットをチョイスできるようになった。けっきょく、シャツは白と水色のストライプ、ジャケットはグレー(あるいは夏物は水色も)という、ほとんど変わり映えのないバリエーションになってしまっているけれど……。

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女性用の脇汗パッドをひそかに試してみたこともある。でもあんなものはまやかしに過ぎない。脇汗が吸収されるどころか、ぼくレベルになってくると吸収能力をはるかに凌駕してしまっているから、ためにため込んだ脇汗があるときいっせいに解き放たれて、思いもよらぬ場所まで水浸しになってしまう。

脇汗バットの実体験でいえば、脇汗がどこをどうさ迷ったのかはわからないけれど、なぜか腹のあたりがびしょ濡れになったこともある。脇汗が運河のようにカラダをはいまわり、腹に到達したものと思われる。

脇汗吸収素材のついた男性用のシャツに望みを託したこともある。でも結果は脇汗パッドと大差なし。一度着てそれっきりになった。

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困ったことに、原稿を書いていても脇汗をかく。それも原稿がのってくるほど発汗量が増える。いい原稿が書けると脇も興奮して汗腺が開放されるのだろうか。

このブログを書いているいま、脇汗をかいているかどうか……想像にお任せします。

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文章がスルスルと書けるようになる(かもしれない)ペン・シャープナーとは?

きょうは「書く×走る」の話。

ぼくの場合、自分の影を見ながら走るとリズムがよくなります。自分の影の動きは、当然だけど自分の体の動きとピタリと一致している。だから影の動きを見ながら走ると、体の動きが影の動きに同調しているように錯覚し、次第にリズムが生まれてくるのです。同調しているように錯覚し…というか、実際に同調しているのだけれど。

ややこしい話は抜きにして、影を見ながらだと単純に走りやすい。頭で描いているイメージ上の走りを、影が実演してくれているというか。影の動きにつられて体が動く、というか。いや正確にいえば、自分の体が動いているから、影も動いているのだけれど(説明がヤヤコシイ)。

 影が体の動きをリードしてくれるように、本業のほうでも、自分の筆さばきをリードしてくれる仕掛けはないものか。書けないときほどそう願う。

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ペン・シャープナーという言葉があります。直訳(?)は、「ペン先を鋭くさせるもの」。勝手に要約すると、「リズムよく原稿を書き出すため、前もって読むお気に入りの文章」という感じになるでしょうか。

 「この文章を読めば脳が不思議と研ぎ澄まされて、スルスルとペンが走り出す」――ライターであれば、誰でもひとつやふたつはそんなお気に入りの文章を持っているはず。

僕もいくつか持っています。そのなかのひとつは……なんと自分の文章です。良し悪しは別にして、自分で書いた文章は、自分が心地よいリズムで書いています。だから自分の文章を読むとリズムが生まれ、次第に「なんか書けそう」という気になってくるのです。

ノンフィクション作家の野村進さんも著書『調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)』で、仕事に取りかかる前の〝集中の儀式〟のひとつとして、このペン・シャープナーを紹介されていました。

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 原稿を書くために集中するのは、けっこうしんどい。そのとき、お気に入りの文章、つまりペン・シャープナーを何気なく読むことで脳がシャープになり、迷いなく書き始めることができたりします。

このペン・シャープナー、ランニングでいう影の役割と似ているかもしれない。影武者のごとく、だれかが勝手に文章を書いてくれたらいいけれど。そういうわけにはいかないか。

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新婚旅行のお遍路さんで目にした看板のキャッチコピーに感動。

前回の記事(『ぼくが広告のキャッチコピーが嫌いな理由。』)を受けた内容をちょっと。

じつはうちの新婚旅行は四国のお遍路さんでした。当初はウィーンやブダペストといった音楽の都をめぐるおしゃれな旅を企画していて実際に予約までしていたのですが、ある日、妻から「やっぱりお遍路さんに行かへん?」と提案があり、ぼくも「ええやん!」と激しく同意(笑)して決まったのでした。わざわざ予約をキャンセルまでして。

さておき。

お遍路さんでは嫁さんと二人、一番札所の「霊山寺」から順打ちで歩いてまわりました。会社を休めるのは一週間程度だったので、十五番札所あたりまでたどり着くので精いっぱいでした。楽しかったな~。札所では「納札(おさめふだ)」と呼ばれる紙札に氏名を書いて納めるのですが、結婚して苗字が変わったばかりの嫁さんは「札所をまわるたびに『高橋』と書くので、少しずつ高橋さんになっていく気がする」と、ぽろっと言ったのが印象的で、内心嬉しかったのを思い出します。

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さておき。

徳島の町を二人、白装束で歩いているとき、数十年前のレトロな学生服の看板をみつけました。まっさらな学生服に身を包んだ中学生くらいの男の子が、希望に満ちあふれた表情で遠くを見つめています。

キャッチコピーは、このひと言。

「夢中になろうよ。」

抜群にいいコピーだと思った。

同じ看板で、別タイプのコピーもあって。

「未来は、ぼくの中にある。」

心を打つ広告のコピーって、こういうことなんだと思った。

期待と不安が入り混じった、なんとも言えない思いを抱く中学一年生。そんな彼ら・彼女らの背中を力強く、愛情深く、優しく押してあげる言葉。

言葉には力があると、再認識しました。同時に、広告コピーは嫌いでしたが、ちょっとだけ好きになったのでした。

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広告の費用対効果を数字ではかるのが難しかったひと昔前は、こうした人情味あふれるキャッチコピーも多かったように思います。でもいまはウェブと連動し、成約率が具体的に測定できる時代です。広告のキャッチコピーはコンバージョンをより重視した表現になっているように思う。

それじゃあ味気ないなあと思うけれど、漠然としたコピーもそれはそれで「その先へ。」みたいになるとこそばいし。キャッチコピーは難しいですね。

新婚旅行でお遍路さんに行ってからもう9年。思い出深いエピソードもあるのでまたお遍路さんネタで書こうかなあ。

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